再生への旅

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zoom RSS お布施は安ければいいのか?!

<<   作成日時 : 2018/10/18 05:04   >>

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總持寺の用水跨ぎ芋水車 玉宗

寺院消滅とか、無縁社会とか、無宗教葬儀とか、葬式不要論とか、直葬とか、家族葬とか、お坊さん宅配便とか、不明瞭な布施とか、なんだかんだとセンセーショナルな言葉が躍る昨今のお寺の現代事情。まあ、つまるところ「お布施は安ければいい」というような話なのだろう。それはお坊さん側から出た話ではなく、檀信徒側からの要望なのだろうか。正確には仏道を解している全うな檀信徒というより、本当は無宗教なんだけどなどと言い出すような曖昧な立場に居座っている方々が言い出しているのじゃないのかな。そんな意地悪な見方をしても始まらない。私だって「安い買い物」をしたがる方の部類の人間である。

仏道の実践徳目の一つである「布施波羅蜜」といった理念を抜きにして語るにしても、布施を買い物と同等というのには語弊が大いにあるだろうし、顰蹙も買いそうだが、一般の商売が「信用のやり取り」であるといった真相に照らしてみたら、お坊さんを介しての法事やら葬儀やら説教やらなどと言った「関わり合い、寄り添い」も、「信用のやり取り」であるには違いなかろう。お坊さんのすることなすことが、如何なる水準の対価に見合うか見合わないかは、買ったものでないと分からない。と言いたいところだが、実際のところは、やり取りした実体の価値を当人が一番解っていないといったこともあろうし、豚に真珠、鰯の信心、或いは、安物買いの銭失いといった奇跡が起きているのが人間社会の面妖なところじゃないのかな。

不明瞭な布施を糾弾したがる気持ちも分からないではないが、人様の財布の中身なんて大凡の見当がつくし、だれにとっての不明瞭なんだがと言いたくなる。不明瞭といったら人様の財布なんて傍から窺ったら不明瞭この上ない。。そして財布以上に不明瞭なのが人心である。とはいうものの、世の中にはなんだか知らんが、いつのまにか「相場」といったようなやじろうべいの力学が働くもので、出せない者には鼻血もでないだろうし、ケチな人間は米粒一つでも惜しいと如実に顏に出るものだ。一方には棺桶の中に銭を持っていくわけでもなかろうにと生前に散財するに余念がないといった中で、お寺へ大枚を叩くといった御仁もいたりする。

まあ、いずれにしても、お坊さんへの金銭的対価を布施というのならば、そのような布施は安いに越したことはない、といった現代社会の金銭感覚を論うつもりはない。わたしが声を大にして言いたのは、安いお布施はいいが、安い信心といったものはないものと肝に銘じてほしいということだ。自己の真相を学ぶことに不明瞭でいいといったことはありえない。自己を信仰するのに人並でいいとか、人並以下でいいとか、自己を信仰する仏道の相場なんていったようなことはありえない。半分だけ信仰しているなんて、ありそうであり得ないことだ。妄想である。


お寺やお坊さんにお金を掛けたがらなくなっている現代日本社会を、正直なところ情けなく思うこともあるが、笑うつもりもないし、怒る気にもなれない。いずれも私が出る幕でもないし、そのような筋合いのものでもない。この世はお坊さんやお寺だけのためにあるのでもない。一切合切、諸行無常であるばかり。
それにしても、どうしてお寺やお坊さんが蔑まれたり敬遠されるような時代となったのか。もしかして、そこに体裁を変えた欲望の匂いがするからではないのかと思ったりもする。それはお坊さんやお寺へ清らかさを期待するからこその反作用なのかもしれないとも。楽観的に過ぎるかな。

私どもは一見混迷しているかの如き現代社会にあってお坊さんとしてどのように再生するべきか。
一人一人のお坊さんの人間力が今まで以上に試されるのかもしれん。原典に立ち返るとはいつの世にも繰り返されてきた楽屋裏の事情。それは言い方を替えれば、仏道とはいつのよにも「初心」が欠かせないという事でもある。
初心の中での弁道、初心の中での生死去来、初心の中での涅槃寂静、行持同環ではあったのだ。安いお布施云々に代表される現代宗教事情とは、初心を忘れたお寺、初心を忘れたお坊さんへの社会からの覚醒なのかもしれないね。

仏道の初心。それは畢竟わたくしなきところこそ自己の還るべきところなのであるという事と心得てはいる。ありのままの自己への深まりをもってして、他者への寄り添いの可能性がある。人生の意義、仏弟子として生きる存在に与えられた意義というものは、そこにしかないのではなかろうかと思う訳である。

以上のことは檀家三十軒そこそこの住職である私、市堀玉宗の弁である。年に一度葬式があるかないか。人並以上の生活をするつもりもないし、してもいないお坊さんの戯言。貧に学ぶことを潔しとしている人間の嘯きである。仏道で野垂れ死にしてやろうと思っている次第。安いお布施上等じゃないか。さて、どうなることやら。




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「ふらりと」

朝寒や古りにし夢と思ふばかり

留守がちの神の国なり捨案山子

魂のふらりと秋の木漏れ日へ

死ぬる世に思ひ余りて紅葉山

木立より聞こゆる秋の潮かな

鰯雲この世に一人遺されて

団栗や一人遊びの出来る子に

目に見ゆる風に銀杏ばらばらと

秋しぐれ句集一冊分ほどの

月も星も猫も草木も露しぐれ


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「みちのべの」

風のこころ雲の心や草の花

淋しらの指折り秋の七草の

この道を母も生きたる野菊かな

みちのべの草に風立つ律なして

萩刈りに駆り出される五六人

野に咲いていよよつれなき女郎花

冷え冷えと日の落ちかゝる蕎麦の花

男郎花雲中に日の鬱々と

月も日もすり抜けてゆく芒かな

目瞑ればここも地の果て荻の声

明日知れぬ空に草々花ひらき









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