仏道の真偽

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朝顔や家族といふも一期なる 玉宗

「願わくはこの功徳をもってあまねく一切に及ぼし、我らと衆生と皆ともに仏道を成ぜんことを」これは、「普回向」といって、宗派に関りなく称えられる、云わば、最も短いお経であります。

道元禅師さまの教えに、「仏道の真偽」を見分けるには、「道」は「行」を伴うものであること、そして、「一切衆生とともにあること」が「仏道」の本義に叶うものであるとお示しになっておられます。ここに言われる「一切衆生」とは人間だけではなく、山川草木悉皆成仏であるところのもの、平たく言えば、ひとを含めた自然そのもののこと。「縁」の世界と言ってもよろしいでしょう。

ところで、[行の実態]についていえば、「道」を言うことは子供でも易く、「道」を歩むことは大人でも難しいというのが実際です。また、「行の本質」に関していえば、私共は自らその為すところの志や動機を代弁するのに、「人のため」とか、「社会のため」と言いもし、耳にもするのですが、静かにわが心根を観察してみれば、それが、自己の見栄や保身など、欲の世界の延長である事に気づくものです。我が身一人のためを思うて為す事を、「何々のため」という隠れ蓑を借りて誤魔化しているのではないか。                   
仏道とは本来そのような誤魔化しの効くような世界とは対極にあるものです。
そこには、「縁に生かされている命」への目覚めと、「おのづからなるもの」への謙虚さがありましょう。家族は言うに及ばず、様々な構図の中で生まれる不安や不足は補い合い、平安や余剰は分け合うことが肝要ではないのでしょうか。

日々変化する「縁」の世界へ、それぞれが偏りのない、柔軟なこころをもって順応する(行ずる)ところに、自ずと「皆ともにわたる」世界が展開されるのではないかと期待しているのですが。
命、大事に。合掌。





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「老い」

朝を鳴く深山鶯老いゆたか

老鶯や森に口伝のあるらしき

眼差しに老いの兆しや昼寝覚

老僧に拘りのなく黴臭き

人生を老いさらばひし裸にて

飯饐えて老いたる母の泪味

老年はなんだか気楽花南瓜

人の来ぬ雨に老いたる月見草

黒南風や老いらくの恋恐ろしき

老いといふ見たこともなき夕焼かな

月下美人年の頃なら初老なる


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「音」

水無月やどこかに空の軋む音

寄する波引く波夏も闌に

襤褸布となりて炎天乞ひ歩く

暇さうな蟻がゐぬかと見てゐたる

昼寝覚めこの世の音を立てゝをり

新じやがやそろそろ梅雨も明けるころ

玉葱を吊るす実家の深庇

雲の峰寝かしつけたるしづけさの

後悔に先立たれたる冷し酒

病葉や気の触れ合へる音のして

かはたれとふらりと螻蛄の鳴く方へ



この記事へのコメント

岡本栄一
2019年07月05日 18:34
頬に伝う涙とともに、拝読いたしました。

合掌