俳句鑑賞・その10

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煤竹をくべて焚火を太らする 玉宗




〇12月9日の投句より


(承前)

林間を人ごうごうと過ぎゆけり
谷に鯉もみ合う夜の歓喜かな
海とどまりわれら流れてゆきしかな
暗黒や関東平野に火事一つ


私が初めて金子先生にお会いした昭和50年初頭は、熊谷に棲むようになって年月もそう経っていないころだったのではないか。日本銀行を退職し、転勤暮らしに終焉を打ち熊谷に終の棲家をもつに至っては、皆子奥さんの強い希望があったことは先生自身の回顧録にしばしば紹介されている。退職後はマンション暮らしを漫然と考えていた先生に対して、皆子奥さんは次の様に諌めたという。
「あなたは土の上に生きていなければいけません。土を離れたら駄目になります。」

土、うぶすなとの意識的な交感。それは季語だけを頼りとしたものではなく、旅人が自らの足と臭覚を直に働かして歩むがごときものである。古く新しく、深い世界への旅。林間を人が「ごうごう」と過ぎて行くという感性も、鯉がもみ合うことが「夜の歓喜」と「生」を受け取る感性も、持って生まれた氏の命のアンテナである。それは、関東平野の火事が「暗黒」を更に増幅させるように、嘗て若き日に「赤いまなこの蛾」が捉えた世界と異質な世界を感受しているのではない。すべて、人生と云う旅の折々の正直な命の実感である。(この項つづく)


ということでその感性のアンテナに注目した句。

「笑顔にも陰鬱ありし雪催 亜仁子」
いつもの作者の作風から察するに季語からの感想のつもりなのかもしれないが、結果としてそれなりの取り合わせである。一瞬「陰鬱」と「雪催」が即き過ぎとも思えたのだが、上五の「笑顔にも」が功を奏して「雪催」が即かず離れずでいい感じに収まっているんじゃなかろうか。惜しむらくは「陰鬱」ではなく「陰翳」ぐらいにして「笑顔にも陰翳のあり雪もよひ」なんてどうかな。何度もいうが季語の説明ではなく、季語と一体になることで授かる世界を表現するには言葉を自分から突き放さなくてはならない。そうであって初めて定型詩が韻文足り得るのではないかな。言葉は人が思っている以上に深く、豊かなものである。それを使いこなすことが俳句にも求められいよう。最短定型詩である俳句にはそれが最も必要な心掛けなのかもしれない。そのような言葉へのふところの深さをを作者自身が信じることです。


「たわわなる蜜柑山越え漱石忌 美音」
漱石忌の作品が作者のほかにもいくつかみられたが、中ではこの句が面白かった。忌日の句は故人への挨拶でもあると言ったばかりのでは私であるが、言うまでもなく挨拶のかたちは様々だ。漱石への文学的本質を一句に滲ませるのが大半であるが、漱石忌の頃の時候や天文や自然の情景を取り合わせる方法もあろう。この句の場合、明るい蜜柑山の情景を漱石忌に配した。私なんかも「漱石」といえば英国留学の折のあの憂鬱めいた写真がまず浮かんでくる。彼の作品と言えばどれも一見明るそうでいて妙に昏いという印象がある。「こころ」然り、「吾輩は猫である」もけっして明るくはない。で、掲句だが、そういう意味では離れ過ぎの感がなくはないが、漱石の都合など全く意に介さないといった取り合わせが如何にも俳諧ではなかろうかと思う次第。まるで亡くなった漱石へ明るい世界を回向してあげている感じではないか。こんな忌日句もあるんだね。



〇12月10日の投句より

(承前)

梅咲いて庭中に青鮫が来ている
どどどどと蛍袋に蟻騒ぐぞ
夏の山国母いてわれを与太と言う
長生きの朧のなかの眼玉かな


金子先生が何故一茶や山頭火に執着したのか、眼前の兜太は現実を見事に背負い込んだ人生の巨人のごとき存在者であった。氏のいう「定住漂白」が私には教養人の戯れに過ぎないことのように長い間思っていた。「喰うに困らない人間が漂白もないだろう」というようなものである。然し、詩人の本質は日常の豊かさ、貧しさに関わらないものなのだ。一茶の俳句は一茶の人生を救った詩であるかないか、山頭火の俳句は山頭火の放浪を支えた詩であるかないか、兜太の俳句は兜太のひとりごころを掬い取った詩であるかないか、それだけが問題なのである。どれだけ言葉に体重を掛けて生きているか。詩人、表現者の評価、そして作品の出来栄えも作者の重心がものを言うのである。(この項つづく)


ということで、体重の掛った句を。

「冬鳥の来てゐて今日は出かけない 千秋」
これを寒がり屋さんの独白とみるか。停年を過ぎた人間の無聊なる一日の一コマとみるか。はたまた憂国の士の韜晦とみるか。いやいや単なるへそ曲がりの最後っ屁か。なんのことはない誰からも声の掛らない引籠りの眼差しとみるか。もしかしたら反戦の意思表示か。そうじゃない、妻に留守番を任された亭主の慰めか。まあ、何にしても冬鳥の来る来ないでその日の行動パターンを決めるなんて、見上げた文弱の徒ではないか。平和はこうやって守られていくのじゃないかな。疎かならない志があろうというものだ。そいう意味でも自分を誤魔化せない人間の、聊かひねくれ気味ではあるが、正味の体重が掛った一句ではある。


〇12月11日の投句より

(承前)
よく眠る夢の枯野が青むまで
愛という遠流の地あり寒紅梅
どれも妻の木くろもじ山茱萸山帽子
合歓の花君と別れてうろつくよ
生きるなり草薙ぎ走る山楝蛇


金子は一貫して「命」を詠っていた。氏がアニミズムや産土への交感へ傾斜したのは、若き日に「赤きまなこをもつ蛾」のような「裸眼」の故であろう。自然児は九十歳を超えても自然児であろうとした。否、死ぬまで自然児であろうとした。
人生、背負うものは「軽い」に越したことはない。無一物で生まれ、生きていることの豊かさよ。そして死ぬことの謎めきよ。ここにも詩人の本領がある。「愛」が「遠流の地」とは切ない。氏の孤独を垣間見るようだ。黒文字も山茱萸も山帽子も亡き妻皆子が植えて育てたものだ。どの木にも妻の面影が宿っている。遺された者は夢のように木立の中をうろついている。闘病の果てに先立たれた愛妻への賛歌である。人生の伴侶の喪失感、それは遠流の地に生きるもののふたりごころでもある。今生を山楝蛇のように生きて行くことを確認する作者。草を薙ぎ倒すように生々しく、血肉をもった言葉が一句の重心となって存在感がある。
兜太にとって「死」もまた草を薙ぎ倒すように生々しいものであったに違いない。亡き妻も通った道である。それは「夜の歓喜」であったかもしれない。(了)


ということで、いのちの不思議を詠っている句を。

「寒鯉と同じ空気を飲む岸辺 直美」
恋が池の畔にきて口をパクパクさせているのだろう。鰓呼吸というどこか暗く、淋しいいのちの世界への同情があるのだろうか。そんな不思議ないのちへ寄り添う、もう一つの不思議な「わたし」。いのちへの謙虚な眼差しがあるじゃないか。

「猫の舌のざらりと削る凍夜かな 真波」
「ざらりと削る」という不気味さ加減が「凍夜」の本意に叶っている。何を削るとも言わないのがいい。これも俳句的省略の妙である。触感という感性、いのちの不思議な共鳴が受け取れるじゃないか。それはそのままいのちへの謎めきなんだろうね。



〇12月12日の投句より

「なまもの考」
嘗てこんなやりとりがあった。
「質問です。 「掠めたる如く桑の実食うべかり  玉宗」の句について。 食ふべかりと言われる時の感じはどのような気持ちを表しているのでしょうか。 「べかり」では言い切れないという事を見つけて「べかり」で言い切る俳句を作っていいのかどうかでも迷っています。 深見けん二さんの桜の句に「べかり」で終わっている物があり、余計に迷っています。 」

コメント氏の指摘される所は次のようなことである。
〈「 形容詞のカリ活用の〈~ かり〉は言い切りの形にすることはできない」石川啄木が「かにかくに渋民村は恋しかりおもひでの山おもひでの川」をはじめ多くの〈~ かり〉で言い切る歌を詠んで、その後この語法は短歌界、俳句界に多く見られた。しかし最近では〈~ かり〉は古来、助動詞に繋がる時だけに使われるものであって、「~ かりけり」「~ かりし」などとならねばならないと言われるようになった。数年前片山由美子氏がこの〈~ かり〉をなくすことを「カリ撲滅運動」と称していたことを思い出す。ただし形容詞「多し」だけは例外。「多かり」というカリ活用の終止形はある。(中略)助動詞「べし」の連用形「べかり」、助動詞「ず」の連用形「ざり」も、他の助動詞に繋がる時にもちいられるものであって、言い切ることはできない。 〈言葉つれづれ29〉西川 阿舟(『玉藻・四季物語』誌、2010 年11 月25 日刊所載)〉

「掠めたる如く桑の実食うべかり」桑の実を食べている様はまるでどこか掠め取って来たかのような後ろめたさ、心細さの様なものがある。否、その様に食べるべきものなのだ、桑の実は。というのが一句の描写したい世界なのだった。実を言えば私の「べかり」は確信犯的なものである。「べかりけり」では字余りということもあるが、過去の助動詞「けり」で過ぎたことになってしまう。そうではなく、今の描写として収めてほしい訳である、作者としては。ということであれば「桑の実含むべし」とか「桑の実啜るべし」でよかったのであるが、「べかり」というどこか「なげやりな音律」が捨て難く、要するに「けり」まで省略してしまった訳だが、それが文法的に間違っていると云われれば「はい、そうですね」と言うしかない。実はここからが「ナマモノ考」の話となる。
 
ご存じのように俳句に使われている言葉の様子は皆が共通している訳ではない。協会や結社により使用する言葉使いが規定され、又は野放しにされているのが実際である。古語、現代語、文語、口語、言文一致、言文不一致等々その詳細を知り尽くしていないままに俳句などに関わっているのだが、いづれにしても「ナマな言葉」と「言葉のなまもの性」は違う。端的に言えば「言葉は文化」である。そして言葉は感性の領域(つまり、いのちの領域)に属するものである。表現の目的、目指すべき彼岸とは言葉の向うにあるものを伝え、提示し、或いは投げ出し、或いは陽炎わせることにある。言葉の向うにあるもの、それこそが「なまもの」の正体であるのかもしれない。言葉に感動するのではない。その向うにある「なまもの」に感動している。文芸とはそういう代物なのであろうと思っている。

そのような事情の中で「言葉・表現」という感性もまた、日々更新し、再生し、行ったり来たりして言葉・表現自身を学んでいるに違いない。平安時代の雅な言葉を後生大事に抽斗から出して文芸の艶とするのも一興ではある。そして、今現在、古典文芸とはかけ離れた現代社会の現場で使われている「ナマな言葉」を俳諧という「容」に盛ることを以って潔しとする行き方もある。現代の言葉事情を嘆くなと言っているのではない。嘆いてみてもいかんともし難い言葉自身の力学といったものがあるのも現実だ。言葉の乱れを正す作業もあっていいが、「乱れ」とは、乾いた言葉を潤いのある感性が追い越している状態を言うのではないのか。自己の言葉に潤いがあるのか、ないのか。自己の感性に潤いがあるのか、ないのか、そのような「文芸の質」「自己の言葉の温度」を点検することも大切ではなかろうかと思った次第である。

ということで、言葉に温度の感じられる句を。

「野兎の毛皮あります峠茶屋 泰與」
貼り紙でもしてあったのだろう。峠茶屋に生きる人間の体温がみえてくるじゃないか。それはそのまま作者の体温、言葉の温度でもあろうかと。

「そびきもの冬の大和を沈めたる 美音」
実は昨日まで奈良にいたのだが、冬霞の句を作りたかったのだが、まさにこんな情景。一句全体に作者の情深き眼差し、体温がかんじられる。

「冬日向良き音立てて庭鋏 千秋」
「良き音立てて」と聞きとめる感性の温かさがある。「冬日向」が動かないのじゃなかろうか。



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「猫大仏」

小春日の猫大仏や誕生寺

握りたる手の冷たさも師走なる

寄り添へることのうれしき寒さかな

着ぶくれて影の如くに侍るなり

お手植えの木立に冬を囲まれて

化け猫の暇もあらずかじけたる

大仏の膝ひろびろと冬日向

生きながら仏と枯れて菊も枯れ

冬かすみ山祇の裾隠すべく

しぐれ虹美しきものみな消えやすく




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「奥の方」

日に一度海を見にゆく懐手

能登沖を走る白波掛け大根

波の花ひとたび舞うて転がれり

しろたへの波と砕けて冬の海

やることがない松迎へにでも行かないか

湯冷めして鴉になつてしまひけり

着ぶくれて奥の方より出てきたる

夕星に大の大人が焚火の輪

煤竹をくべて焚火を太らする

浦かけてきれいな月夜煤払


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