命の尊さ


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いのちほどの火の恋しさよもみづれる 玉宗
 

 わたくしどもは、社会という謂わば横軸の世界に生きています。災害からの復興といったこともそのような世界での支え合いとも言えましょう。そのような地平でのいのちの価値、評価、相対的意義づけとでも言うべきものを与えられたりします。支え合う横軸の世界。それはそれで尊い事ですが、何故かそれは奪い合い、足を引っ張り合い、傷つけあう世界に様変わりすることがあります。いのちの尊さは横軸だけの線上で済まされない所以です。

 そこにはどうしても謂わばいのちの縦軸の尊さといったものを掘り下げねばなりません。なんともない、なにがあってもぶれないいのちの軸。「宗」なるもの。それが宗教の守備範囲とでも言うべきものではないのでしょうか?比べられも代わることもできない一人一人の絶対的縦軸の世界における尊さといったもの。そのような自己のいのちへの寄り添い。

 それこそがなにがあってもなんともない究極の大安心をわがものにする妙法、生き方なのだとお釈迦様は諭しているではないでしょうか。自己のいのちへの寄り添い。宗教とはいのちの話です。だれのものでもない。抓れば痛い、わが身わが心ながらも「因縁」とか「仮のもの」としか言いようのない一つの謎。それを解き明かし目覚め、いのちの声に耳を傾ける。

 道元禅師さまの言葉に、「自らを知らむと求むるは生きるもののさだまれるならひなり」というものがあります。それこそが「宗教心」ではないでしょうか。そのような内なる声に耳を塞いではいませんか。聞こえないふりをしてはいませんか。見て見ないふりをしていませんか。「宗教心」のない人などいないというのが仏道の人間観察です。  ≪法話集『両箇の月』より〉



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「夜の底」

曼殊沙華いづこに咲かば安らへる

女郎蜘蛛色なき風を聞き流し

そぞろなる雨に水漬きし刈田かな

腸を手に取るやうに身に沁みて

籾殻を焼く寒村の秋深し

いのちほどの火の恋しさよもみづれる

夕刻の山影寒き稲架襖

僧一人招かれゐたる鎌祝

濁々と猪肉喰らふ夜の底

虫の夜しこたま酔うて帰りけり

猿酒を覗く夜の星夜の声

名月やこころ穏やかならぬ日の



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「ひんやり」

秋風にわれは銭乞ふをのこにて

うたた寝を嗜めらるゝ秋深み

腹空いて目覚めにけりな秋昼寝

木の実草の実空に負けじと色づきぬ

夕さりし風はひんやりきりぎりす

渡り鳥五七五の彼方より

曼殊沙華いづこに咲かば安らへる

女郎蜘蛛色なき風を聞き流し

久闊を恕するはにかみ蛇穴に

立ち話もなんですからと龍淵に

新茶淹れあたり障りのなき話

かろきもの一枚羽織り月を見に


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