韜晦の系譜・あるがままに生きる禅者たち

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浮遊せる花のあかるさ秋桜 玉宗


先ほど亡くなられた板橋興宗大和尚が良寛を慕っていたことは有名だが、ならば、どうして「禅師」という権威、地位に就いたのか。

師匠はその修行時代の若い頃から、宗門に於ける良寛の再発見、再確認を論文などでも提言しておられたのである。それは宗門に於ける「悟」の再確認という文脈の中で語られている。それまで僧俗共に顧みられなかった良寛の「悟」「行」に対して再認識を促すものであった。世に知られる「良寛さま」的な、世間受けのする良寛像の裏に、決して蔑ろにできない仏弟子であることを担保している「悟」「行」があったことを見落としてはならないことを語っていたのである。

 それにしても良寛和尚は世間は勿論、宗門内にあっても名聞利養から遠ざかるという、開祖道元禅師以来の韜晦の系譜に連なっている存在である。そのような生き方を貫いた良寛を慕っていた師匠がどうして禅師位に自ら手を挙げて就いたのか。正直なところ、昔の私にはそれが合点がいかなかった。多くの弟子の中で、私と同様の思いで、師匠から遠ざかっていった不肖の弟子がいることを敢えて述べておこう。

 然し、そうはいっても私などは即かず離れずという中途半端なものではあったが、得度の折は一介の寺の住職に過ぎなかった師匠が宗門の最高位に登ることなど夢にも思わなかったし、期待してもいなかったし、ある意味いい迷惑でもあった。というような憎まれ口を叩いたこともあったのだが、荼毘式の後、最期を看取った奥様の話しを聞いて、それまでの疑問が氷解する思いだった。それは奥様が語った次のような臨終の様子からである。


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 師匠は海軍兵学校に入り戦地に赴こうとしていた矢先に終戦となった。海軍兵学校時代の写真を見せてもらったことがある。まだ大学生でもあった二十代の若者の凛々しい軍服姿。迷いなき眼差しで敬礼し、まっすぐな心根の青年がそこにはいた。奥様の話しでは、臨終近くに際して差し出された手を握った際に、奥様を見つめる眼差しが、その海軍青年の初々しい眼差しそのものであったというのである。なにひとつ変わっていなかったと言うのである。

 そんな海軍青年も、終戦後は将来への人生展望に迷い、精神的にも肉体的にも追い込まれる。そして出家の道に出会うことになる。だれよりも坐禅をしたという修行時代の逸話などからも、道を求めて已まない真摯な青年僧の姿が浮かび上がってくる。
そのような志の中での良寛への思慕であったのであり、禅師位に就いたことも、同様の道をもとめる線上での、自ずからなるものであったことに遅まきながら気づくのである。つまり、宗門のあるべき姿を求めての志しの為せるところであったのだということ。師匠は決して名聞利養を求めたのではない。権威を欲してもいなかったことは肩書に拘らず、すべての人の目線で生き、地平を望み、一期一会の存在者同士であるという眼差しが注がれていたことからも明白であろう。

 生まれ変わっても禅僧になると口言して憚らなかった。生涯道を求め、道に寄り添い、道に救われているという自覚覚他に生きた禅者である。その存在感に嘘偽りのないことは禅師に接したことのある者ならば誰もが納得することだろう。あの存在感は師匠が慕っていた良寛的生き方の本質そのもではないか。肩書は五合庵の良寛と大本山貫首という違いはあっても、その本質は微塵も懸け離れてはいない。良寛はあの時代にあって成し得た仏道の威儀だったのであり、現代に生きていたとしても同様の自己表現をしたかどうかは何とも言えない。あるべき本来の仏道を復古する。自己に体現するという志が良寛にも板橋禅師にもあったのには違いないのだ。

 師匠は五年足らずで禅師位から身を引いた。その心中は忖度するしかないのだが、在任中にいくつかの改革をなされたことは知る人ぞ知るところだ。見方を変えれば、改革は道半ばで引き下がったということでもあろう。御誕生寺を開山し、雲水と共に一から出直したという経緯にも、自らが求めていたものは宗門の改革ではなく、自己の初心の中にあったことを再認識されたのだろうし、そのような思いを語られていたのを私も聞いている。自らの仏道への志、夢に殉じてみせたのである。その生き様、死に様は、道元、良寛と寸分たがわぬ韜晦の系譜に連なるものであることを私は疑わない。

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 亡くなられる前日に山内の修行者たちを枕元に呼び寄せ禅師は力を振り絞るように語った。
「参禅弁道、頑張って、頑張って、よろしく、よろしく」
それを二回繰り返し再び静かに眠りについたという。雲水に見守られ、出家されたときのこころのまま禅師は息を引き取った。
「災難に遭う時節は災難に遭うがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。」良寛のことばである。あるがままのいのちに殉じてみせた者たちの言葉でもある。

 自己の道を求めた海軍将校時代の眼差し、そして諸行無常に殉じて生き切った末期の眼差し。なにひとつ変わってはいなかった。それが板橋興宗という仏道人の人生の真実を語っている。不肖の弟子はそのような師匠を失って初めて、道元、良寛へと続いていた韜晦の系譜の真相に気づくのである。合掌。


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「虫」

暁は夢の渚よ草雲雀

竈馬鳴く実家や今も外厠

その辺に跳んでみせたるきりぎりす

虫鳴くと途方に暮れて夜が来て

能登や今草葉の陰の鉦叩

馬追の脚を畳むに手間取りぬ

ちんちろりん思ひ過ごしの夜を鳴く

枕辺は港の如しがちやがちやと

月よりの風に蓑虫ゆらゆらと

淋しらの灯ひとつつづれさせ

るるるると母が阿修羅となる夜かな

地虫鳴く闇に囲まれ寝苦しき



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「葉月」

あぢさゐの色褪せてゆく秋の風

稲雀たらふく喰うてまた明日

蟷螂の已むに已まれぬ顔をして

蜘蛛の糸色なき風に吹かれをり

ふるふると煮ゑ滾るかに芋の露

大根蒔き能登の暑さも峠越ゑ

猪罠といふ企みをちらと見し

草の花おもひ直せと言はむばかり

裏山へ栗を拾ひに行かぬかと

梢吹く風のすさびも葉月なる




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