『寺 報 九月号』  法輪山興禅寺・鳳来山永福寺 

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森の子が笛吹く猿の腰掛に 玉宗


「宗教」という語は、幕末期に翻訳されたものですが、「再び結びつける」という意味があるそうで、そこから、神と人を再び結びつけることと理解されていました。

「神と人を再び結びつける」とは「神の手元を離れた人間」がいるということです。「宗教は阿片だ」と批判する人がいます。然し、「宗教」が「阿片」なのではありません。現実を誤魔化したがる自分がいるのです。

「諸行無常」が「阿片」なのではありません。「諸行無常」に目を瞑ろうとしている弱い自分がいるのです。換言すれば、絶対的に孤独ないのちをまっすぐ戴くことができずに、手間のかかる人間でもあるというのが実際のところです。

 コロナ禍で先の見通せない社会。明日のことは分からない。不確定要素に満ち満ちているわれらが存在です。然し、昔から一寸先が闇でなかったためしはありません。なにがあってもぶれないいのちの芯をわがものとして生きる。闇の世界に自己の灯明を掲げて生きる。それが釈尊以来の信仰ある者の生き方ではあったのです。いのち、大事に。合掌。

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※大本山總持寺祖院の御征忌法要が9月㏬から㏮にわたり催されます。㏭朝六時半過ぎの法要で、焼香師として導師を勤めさせていただくことになりました。檀信徒みなさまもどうぞご参拝ください。合掌。


※令和二年・大本山總持寺祖院御征諱差定

十三日午前九時
    迎真諷経
    集来寺院参賀諷経
   午前十時
    大禅師猊下お迎え
    入祖堂諷経
   午前一時
    全国火葬者総供養諷経
   午後二時
    二祖国師御征諱逮夜献湯諷経
    普蔵院開基六五〇回御遠忌特為献湯諷経
    能山会物故者供養

十四日課罷
    徹祖忌朝午時献飯諷経
    御両尊献粥諷経
    普蔵院開基六五〇回御遠忌特為献粥諷経
  午前九時
    二祖国師御征忌献飯諷経
    普蔵院開基六五〇回御遠忌正当献飯諷経
    詣塔諷経
  午後一時三〇分
  本山独住第二十三世雲海興宗大和尚報恩諷経
  午後二時三〇分
    太祖大師御征忌逮夜献湯諷経
    独住第二十二世得道芳髄大和尚二十三回忌特為献湯諷経
    伝燈講式

十五日課罷
    後醍醐天皇御征会
    定賢律師御征会
    本山独住第二十二世得道芳髄大和尚二十三回忌献粥諷経
    太祖大師献粥諷経
  午前九時
    本山独住第二十二世得道芳髄大和尚二十三回忌献飯諷経
    太祖大師御征忌献飯諷経
    詣塔諷経
    放生会
    集来寺院乞暇の拝
  下午
    対真上堂
    送真諷経




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「とんとん」

小鳥来てとんとん渡る世間かな

穴惑ひ已むに已まれぬ貌をして

蕎麦咲いて村に一つの水車小屋

俳諧に骨身を削る糸瓜かな

とんとんと刻む漬物鳥渡る

竹伐りてぽつかり空に穴が開き

仏壇に差し込む秋の夕日かな

棺桶の中を花野で埋め尽くし

とんとんととんとととんと石叩き

蓑虫の寝返りしたるさゆれとも

啄木鳥のトンカチなせる石頭

遠ざかる星とも見えず澄みにけり

虫鳴いて夢の謎解き始まりぬ

夜のポストことんと銀河落つるかに


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「子」

花野にて産声上げし捨て子なる

色鳥やなかなか合はぬパスワード

秋めくとうろ覚へなる顔をして

風の子の悪さをしたる稲田かな

舞ひ上がることも叶はず秋桜

毒茸と言はれてみればそんな感じ

裏山の月に太りし秋子にて

森の子が笛吹く猿の腰掛に

山坂を滑つて転び初滑子

穴に入るばつの悪さよ惑ひけり

酒買ひに寺の子走る秋の風

夢にまで見たる松茸ご飯かな

怪し気なものがぐつぐつ茸鍋

道化師の化けの皮剥ぐ月夜かな

鳥も通はぬ松茸山に月上る

梢吹く風に鬼の子嘯けり





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