初老のこころ


IMG_0054.JPG

老いといふ旅の途中の紅葉かな 玉宗 


令和二年十月も晦日。
ここに来て輪島にもコロナ感染者が出たようで、なんだかんだ言っても他人事の域をでなかった危機感だったかもしれないと思い知る。コロナウイズという言葉がある。未知のウイルスということでまだまだ分からないところもあるのだろうが、事ここに至って、風ウイルスやインフルエンザウイルスへの対応、心構えと同様の注意を払って暮らしていくことになりそうだ。

五月から始めた「大般若理趣分経真読祈祷」だがまだ当分は続けていくことになりそうだ。いっそのこと、お寺の日分行持として組み入れ、定着させよう。朝のお勤めが些か長くなるが、まあしょうがない。これもめぐりあわせだ。本山に出仕している訳でもないし、自坊に専念している御隠居の身である。ほかにやることもない。

 思えば、托鉢もそうだが、勤行も坐禅も作務も四十年近くわが身わが心に寄り添い、育んできた「行」ではある。曲がりなりにも「行」に引っ張られ、「行」に諭され、「行」に救われている自己であることを認めない訳にはいかない。
 仏弟子であるからには当たり前のことで、今更自慢めいたことを言うのも気が引けるのであるが、掛け値なしで言うのであるが、先日も夫人との会話の中で交わしたことなのだが、お坊さんをしていることで何とか人並に生かさせてもらっている節が大いにある私なのである。その自覚に嘘偽りはない。

 お坊さんであることが人様より高尚であるとかないとかという話ではさらさらなく、先日も相田みつお氏の「人間らしさ」について語ったように、人間らしさを否定するのではなく、それを越えたところを志向していきることでなんとか人の世に足を着けて生き延びているという事実がある。出家在家という枠組みをも超えて、仏性を備えた人間として成仏したいという思いがある。

 そんな私の人間力、仏弟子力といったものがどの程度のものか。まもなく六十五歳になろうとしている。謂わば、初老の域に入り底が見えて来たと言っても間違いではない。卑下でもなんでもなく、来し方のしてきたこと、しなかったこと、できなかったこと、できたこと。そして社会との関わり合いや人との出会い別れを顧みて思うに、これ以上自分に高望みをする気はない。

 諸行無常なる生老病死そのときそのとき、いつも今ここが初心であり、初体験である。今ここを限りと潔く生き切ることを飽きもせず人様に言いもし、自分にも言い聞かせて生きてはいる。それは、謂わば「いのちの尊さ、絶対性」という縦軸の話しである。人の世、お坊さんの世界、俳句の領域という横軸にあってのわが力量は拭うべくもなく目の当たりに受け入れなければなるまい。

 そう云えば、亡くなった板橋禅師様が相見していたここ数年来、会うたびに私の年齢を聞くのであった。当初は「まだ六十か・・」みたいな反応だったが、最後の頃は私の顔のことを指摘していたのが忘れられない。些か自慢話めくので気が引けるのだが、禅師様のお人柄が偲ばれるので敢えて書こう。

いつものように夫人と共に御誕生寺へお邪魔し、お会いすると最期の頃にこんなことを語っていた。

「玉宗さん、あんたはだんだんいい顔になってきたね。いい奥さんを貰ったお陰もあるだろうけど、お寺の住職になると修行が疎かになる所為か、腑抜けた顔になるもんだが、それなりに頑張っているようだね。そんな顔をしているよ。」

 人は自分の顔に責任を持てと言ったのは誰だったか。顔に心映えが反映するのは仏法では至極当然のこと、私は自分の顔に責任を持ちませんという人はそれなりに無責任な顔になるものだ。因果歴然。誤魔化しが利かないというのは仏教のいろはである。

 いい顔になる為に修行するというのじゃなくて、そんな本末転倒じゃなくて、仏道だけじゃない。何事も無心に行じ勤めて精進していればいいだけのこと。今まで通りに、脚下照顧しながら、老境というあらたな一歩、新鮮な即処即今を戴く覚悟と受け身を学んでいかなければならないと思っている次第。合掌。


046.JPG

「と」

目薬と嗽薬と神無月

勝手口出でてほどなく冬隣

ゆく秋を竿竹売りの声巡る

生きて来し妻と二人の障子貼り

嫌はれてなんぼセイタカアワダチソウ

空稲架に止まる蜻蛉と坐る子と

萩を刈るほかに用事もなかりけり

秋蝶の妙にさばさばして舞ひぬ

暮れてゆく風に戦く木の葉かな

茶の花やうつろに人の行き交へる

路地をゆく人声さやに後の月

耳掻きと爪剪りと長過ぎる夜と



IMG_0734.JPG


「支度」

神無月風が素通りしてゆきぬ

海女帰る海の色にも雁のころ

冬隣り窓の曇れる厨事

天照す妻の言ひなり冬用意

縛つたり隠したり冬支度せる

願ったり叶つたり秋深みかも

留守がちの神の居ぬ間に畳替へ

障子貼り終へたる妻が年老いて

洗ひたる銀杏干され真つ白け

小豆干し遊び惚けぬ昼日中

どちらかと言へば寒がり残る虫

十月も晦日の月よ惜しむべく


この記事へのコメント