俳句大学「一日一句鑑賞」

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『11月2日の一句』

  「放棄田の畦の数珠玉実りたり 貞子」

 私は高卒で大学というものに興味もなかったし、家が貧しかったので進学という選択肢を端から持ち合わせて居なかった。だから「大学」という世界を傍から見て想像するしかないのだが、「学ぶことが好き」という人間が通うところなのだろうとは思っている。
 「大学」にも様々あり、「生涯学習」ということが言われ出してから、社会人となってもそれぞれの好奇心を満たす手段としての「大学」が現れているのだろう。「俳句大学」もそのような需要に応えてのことと理解している。さて、俳句を学ぶとは如何なる好奇心の為せるところなのかとふと気になった。

 私は禅宗の仏弟子となって「僧堂」と呼ばれる修行道場に行ったのだが、そこは一般社会で言うところの「大学」的な機関としてとらえて貰ってもよかろう。本来、お寺の「駆け出し小僧」がいきなり入れるところでもない。衣の着方も知らず、お経も満足に読めないうちは師匠も決して「僧堂」へ送り出したりはしなかった。「しなかった」という言い方で察しがつくように、現代ではお坊さんの所作進退のいろはも心得ぬままに送り出す師匠もいたりする。苦労するのは送り出された弟子本人で、右も左も分からぬままに修行の日々を重ねることとなる。

 まあ、何の世界でも同様であろうが、この世に生きているうちは何でも無駄なことはないもので、右往左往、五里霧中の日々も自己の糧になっていると気付く日が来るのだからあり難い。要はあきらめず、謙虚に、誠実に学ぶ姿勢をうしなわないことなんだろうね。
 さて、「俳句大学」にあってはどうなんだろう。基本を身に着けていない方が見受けられる。「俳句甲子園」にも及ばないレベルの低さにあっていい訳がないね。いい悪いは別にして、リベート力も高校生は半端ない。又、マスコミに勢いを得ている「プレバト」に於ける芸能人の力量も侮れないね。

 作句力、互選力、鑑賞力。それは人に教わって備わるものでもあり、そうでもない自前のものでもあるようなところがある。要するに「才能」っていうんですか。文芸に自惚れは欠かせないが、何事も過ぎたるは及ばざるもので、成長を期待できない厳しい現実もある。でも、あきらめちゃいけない。俳句は楽しいですかと昨日問い質したばかりだが、なにごとも苦労あっての楽しみ。文芸にあっても、生みの苦しみがなくして人を引き付ける作品ができる訳がない。

 俳句という最短定型詩とは如何なる絡繰りと結果を導き出す表現形式なのか。些かなりとも自覚しているに越したことはない。見当違いなところを俳句に期待しても自己満足の域を出ないことになりかねない。ここにあってもやはり「学ぶ姿勢・謙虚さ」が表現者には大事であることに察しが付く。

 貞子さんの句は、何気ない感動、気づきを何気なく表現している俳句的潔さがが佳いね。観念先行でない写生が私には好ましい。欲の少ない人柄が見えてくる。私なら、「放棄田の畦に数珠玉実りけり」にするかな。どうだろう。今日の結論として、俳句は自己を語るものではない。何かを感じることだ。それがそのまま表現であればいいね。

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『11月3日の一句』

「待ち合わす人に冬木を塗り重ね  素子」


 私の出自は昭和写生写実俳句の旗手でもあった故澤木欣一氏が主宰されていた「風」である。師亡きあと終刊となった「風」の指標を継いだ「栴檀」という辻恵美子氏主宰の衛星誌に今も属している。もう一つ「枻」という橋本榮治氏と雨宮きぬよ氏が共同主宰という形の結社にもお世話になっている。こちらも「馬酔木」系というどちらかと言えば写生俳句が主軸と言ってよいい。どちらも無鑑査同人ということで好き勝手な俳句を投句させて戴いている。

 好き勝手と言うには訳があって、写生俳句を基本に学んできた私ではあるが、当初からその結社の是とすることをはみ出すようなようなところがあって、澤木先生は能登に思入れがあった方でもあったので孫のような私に聊か甘かったようなところがあったのではと思っている。要するに主観や観念が先行する癖があったということ。今もその癖から抜け出せないでいるのかもしれないが、嘗て澤木先生は私の第一句集『雪安居』の序文で次のような弁護をしてくださった。

「禅宗で俳句を成した人として近代では中川宋淵師が著名である。地代を距てて市堀玉宗現われ俳壇の新人として活躍している。一昨年は「角川俳句賞」を受け、最近は「風」賞に決まった。玉宗俳句の魅力は発想の自由、表現の自在が、俳句の基本である写生によって遂げられようとしていることである。個性が強く出ているが、写生がしっかりしているので独断で独りよがりをまぬがれている。能登外海の景と門前総持寺のたたずまいを想い、玉宗君の御精進を期待します。」

 初学の頃に戴いたこの指針を今でも思い出しながら俳句に関わっている。澤木氏は戦後に駈け出した「社会性俳句」の先導者でもあった。お坊さんである私など「社会性」とは縁もゆかりもなさそうだが、「社会性」とは「生き方」のことだと私は受け止めて、私の生き方がそのまま俳句という生き方になればという手前勝手な理想を抱きつつある。いきることも「表現」であると思っている。「写生・写実」は「方法論」である。本末転倒してはならない。澤木先生は特に晩年「志しを大きく持って俳句に関われ」と結社の仲間に語っている。そのような文學者魂を持ち続けた俳人でもある。

「写生俳句」をわがものとして、それをこえたところにある「文学性」といったものを表現できたらいいね。そんな作品を手土産に亡くなった澤木先生への冥途の手土産にしたいな。本気でそう思っている。

「待ち合わす人に冬木を塗り重ね  素子」

素子さんの俳句にはそんな「文学性」があやしく匂いたつ傾向がある。「写生俳句」とは「句意明解」をよしとするのが通念のようだが、氏の俳句には「実」を離れきれない「虚」なるものの「かなしび」がある。或いは「虚」を離れられない「実」への「まなざし」があるのじゃないか。待ち人が冬木のように暗く、遠くに、永遠に、そして確かに佇んでいるね。まるでそれは「神」か「愛」のようだとでも言いたげだね。



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「渡る」

大いなるものの過ぎゆく神無月

流れゆく雲の速さよ雁渡し

見たこともなき色鳥が目の前に

だれ待つとなけれど里の秋深み

がうがうと大空渡る神の旅

雁がねや島より海女の帰り船

ひもすがらふりみふらずみ且つ散りて

北前の風吹く湊破芭蕉

一枚のへばりつきたる濡れ落葉

人を送りてすでに日の暮れうそ寒し

冬といふ荒くれものが隣りせる



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「赤」

追伸の如く秋蝶来たりけり

逝く秋を見てゐる窓のこちら側

だれ待つとなけれども火の恋しさよ

寺に子を預けて帰る雁のころ

余生なほ蜂の子採りに駆け回り

墓捌く顏し自然薯掘りにけり

赤き実を零して鶫立ち去りぬ

赤々と鳥影もなき烏瓜

鶺鴒の数へ忘れて立ち止まる

蓑虫や梢吹く風の子守唄


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