無事是貴人 



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山眠りものみな遠くなりにけり 玉宗

願い事なんてしない方がいいのじゃないかと思うことがあります。一見願いが叶ったり叶わなかったりしたことも、時が過ぎれば糾える縄の如き次の因縁を展開します。願いが叶ったと言っては有頂天になり、大事なものを忘れ恩を忘れてしまう愚かさの繰り返しではなかったのかと。

畢竟、ものごとはなるようになったり、ならぬようにならなかったり、来たり去ったり、生まれたり消えたり、変わったり変わらなかったり、ありのままという厳粛な事実があるばかりです。そのような実相に目をつむり、耳を塞ぎ、右往左往、喜怒哀楽している人間らしさ。それでいいのかと仏道は諭しています。仏道としてのあるべき願い方、「空なるままに願う」とでもいうべき姿勢があります。

生きる事、それ自体がいのちの目的です。そこにはわが願いや都合や恣意を越えた自然にして知足なる働きがあります。願ったり叶ったりに一喜一憂するのも人間ですが、仏道人とはいのち足りていることへの目覚め、無欲無心が試されている人のことです。

冬の山は眠るがごとしとも言われます。四季折々の表情を見せる自然ですが、冬山は人の世の有為転変、紆余曲折をよそになにごともなかったように眠っています。「無事是貴人」これから貴人になるのではありません。もの足りても、もの足りなくても、なにがあってもなくても、貴いいのちを今も生きています。  〈 法話集『両箇の月』より 〉


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「暮れ」

窓を打つ雨の礫や冬初め

仏弟子を山ふところに眠るなり

冬靄の潮蠢く大伽藍

僧となる月日の落葉掃きにけり

冬籠る掌にある箒胼胝

西方に暇あるらし綿虫来

この頃の日の短さよ夕鴉

村里は山より暮れて木守柿

日の暮れぬうちにと大根洗ふなり

とつぷりと日の暮れゐる焚火かな



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「手土産」

冬靄の流るゝ音や峡の朝

お隣りの柚子が欲しくてならぬなり

手土産に裏の大根を抜きにゆく

生贄となりて木枯し見送りぬ

仇討ちもならず蟷螂枯れゆけり

百日の風を枕に冬安居

梢吹く風に抗ふ木の葉かな

手ぶらでは帰せぬと葉菜持たせけり

参道に忘れ箒や初時雨

つはぶきの消し忘れたる黄なりけり

天狼を吹き晴らしたる夜の風




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