誕生日雑感

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生きながら命枯れゆくいぼむしり 玉宗

今日11月16日が私の誕生日である。
満65歳になった。年金が戴ける年になってほくそ笑んでいたのだが、早速「介護保険料」なるものの振込用紙が送られてきて、その結構な負担金に生きる気力が萎えていく思いがしたのにはわれながら予想外な心理だった。

介護の世話になる日のための担保としての介護保険制度なんだろうけど、介護されるような老人にはなりたくないなあと頑張って生きて来たような思惑があったらしく、なんだか複雑な気持ち。

保険の適用者になるということは介護認定を受けるような老人になっているということだから、それもなんだか悔しいというかそんなつもりじゃなかった感が半端ない。さながら介護される人のために元気な人間が税金を納めているようなところが感じられて、なんだか不公平な思いも湧かぬこともない。

 そうは言っても、夫人が宥めるように、先のことは分からない。第一級の介護老人になる可能性だってあるのだし、そのときになって保険のお世話になりたいんですがとのこのこ要望してもそうはいかないんだろう。

 まあ、生老病死は避けられない現実。できることなら軟着陸したいところだが、一寸先は闇ですといつも人様に口説いている身からすれば、介護保険料を収めたくないと言うには如何にも料簡が狭いと指摘されても言い逃れが出来そうもない。どちらにしても生涯現役で暮らさざるを得ないというのが現実。保険のお世話になっている暇もないかもしれん。

 ということで、現代では初老の域になるのかな、無事に恙なく暮らしていると言いたいのは山々なんだが、今年になって膝の痛み、高血圧、頻j尿と次から次と五体がなにかのサインを送り始めて、正直なところ、コロナ社会への気配りなんかもあって、実になんとも鬱陶しい。誕生日は余命を思い知らされる日でもあるね。

 実の両親共に七十代で亡くなっている。寿命はひとそれぞれにあたわったもので誰に文句を言うつもりもないが、それでも血脈の予想とはあるもので、夫人の家系は長生きだが、私の方はそうでもないらしい。今を限りと潔く生きるのが仏道とことあるごとに人にも言い、自分にも言い聞かせているような私であるが、それでも先の予想はつかないこともなく、あと十年現役で頑張りたいなとは希望的観測を抱いてはいるのである。

 老いたればこそ「今、ここ」を丁寧に生きていけるのではないかな。仇や疎かに諸行無常の波を潜り抜けて来た訳でもあるまい。いのちはそれなりの智恵、受け身を学んでいる筈だ。「老い」という流れそのものに一如した新鮮な風景があるじゃないかと期待している。そういう意味で老いて益々好きなように生きていきたいものだ。

後悔したくない人生を送りたくて選んだお坊さんの道。だれもが見たこともない私だけの諸行無常の今が見える。合掌。


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「褒美」

窓辺なる露けき旅の途中かな

小春日やもうすぐ駅に着く心地

目に入れてやつぱり痛い七五三

空晴れて銀杏落葉の照り返し

がさつなる音して走る朴落葉

落葉籠赤子を入れて戻りけり

茶の花やしづこころなく腹が空き

和倉なる湯殿に見ゆる海鼠舟

落葉掃いて生まれ変はれるものならば

褒美にと兎抱かせてもらひけり

冷飯を喰うたる貌や古狸

火の用心月に柝打ち終りけり


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「さ中」

黄落の眩しき朝の来りけり

梢吹くざはめき神の渡るらん

流れゆく雲の速さよ神等去出の

朝紅葉夕べ銀杏の落葉掃き

わが庵は木の葉しぐれのさ中なる

さうじやない落葉はこうして掃くのだと

源助のぶつきら棒の大根かな

小春日を何するでなく庭に出て

夕影の風に慄く枯葉かな

暮れてゆく空のあかるさ石蕗の花

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