お経って何?!

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笹子来て習はぬ経を唱へけり 玉宗


 先日何気にNHKの「チコちゃんに叱られる!」っていう番組を見ていたら、「お経って何?」という問い掛けにほかのタレントが答えに窮していた中で、一人駒澤大学で学んだというお笑い芸人が正解を言い当てていた。街頭でのリサーチ映像では一般人の中でも未だにお経の何たるかを弁えていないことに少なからず驚いたことである。

 チコちゃんの答えは「お経とはお釈迦様が説いた生きていくためのアドバイス」というもの。この至極当たり前の正解を聞いて出演者や街角の人が驚いていたのを見て、私の方が少なからず驚いた。「えっ、今更?!」という感じ。

 一般的にはお経とは死者への供養としてお坊さんがお唱えしているもので、参拝者には意味不明であっても一向に差し支えなく、冥界への義理を果たすのに遺された者たちの恐れや疑心暗鬼や良心を担保している保険のようなものとして捉えられているかのようだ。

 葬儀や法事などでお経をあげたりして功徳を積んでそれを冥界へ施すという意味ではそう目くじら立てる筋合いのものではないのかもしれないが、葬儀や法事に当たって「お経をあげることの意義」を説いてこなかったお坊さん側の怠慢を「ぼーといきてんじゃないよ!」と叱られはしないかと思わないではない。

 それにしてもである。本来「生きるためのアドバイス」的な筋合いのお経であるならば仏壇の方ではなく、お参りをしている人間の方を向いてお坊さんはお経をあげるべきではないか?という疑問もないではない。

 ところで「回向」という言葉がある。正確には「回向返照」であろう。この禅語は道元禅師の「普勧坐禅儀」に記載されている言葉である。

「須らく言を尋ね語を逐うの解行を休すべし。須らく回光(回向)返照の退歩を学すべし」

仏法を得るのに言葉の意味を求めて学ぶことを一旦やめて、自己の実物にまっしぐらに実参実究し、それそのものにまみえることの一大事を勧めている。実物を生きているのに外にばかり目を向けたがるのを休して、自己という広大な内面と向き合う。自己のの可能性つまり成仏を信じて、前向きに振り返り、退歩を学べと言っている。

 本尊や死者を象徴する位牌や仏像という外へ向く目をこちら側へ「回らす」。「お経」を読経するとはそれがそのまま「祈り」の姿でもあろう。そのようなこちら側の「信心」をあちら側へ誓い、祈っているそのままが「こちら側という自己」の分際の今の生き様へのアドバイス、生きる力、道しるべとなる。仏教徒であるならその辺の前提を失念してはならないだろう。

 又、読経のあとに「お経」の解説をするのもいいが、お坊さんが「お経」そのものの体現者として信者に接することが解説以上に大切であると私などは思う訳である。「お経」をわかりやすく解説することも大事、そしてお坊さんが「お経」をわかりやすく体現して生きることも大事ではないのかな。

そして、「生きるアドバイス」と言えば「山川草木・山河大地」すべてが「お経」である。そこまで「信決定」しているのならば、お坊さんの上げるお経の意味が分かるとか分からないとかは大した問題ではなくなるだろう。

 板橋禅師は「お経は意味が分からなくていい。分かろうとしなくていい」みたいなことをよく言われていた。頭でっかちを忌避されておられることをよく感じたものだ。実物であることの尊さを教えて戴いたような気がする。読経、看経、坐禅、作務、打眠、生老病死どれもこれもいのちまっすぐ実感してしるそのままがお経の功徳そのものであると仰りたかったのではないのかな。


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「臍二十句」

山眠り臍がものいふほとけかな

臍曲げる暇もあらば日向ぼこ

冬の暮臍の深さをおもひけり

大空に臍の匂ひや十二月

帰り花臍も喜ぶ日なりけり

臍の緒の行方も知れぬ寒さかな

大海鼠噛むべき臍もなかりけり

狐火の火種にくべる臍の胡麻

露ほどの柚子湯が溜まる臍の穴

厚着していよいよ遠き臍の下

臍を嗅ぐやうにも狸来りけり

よく見れば笑へる妻の臍小春

寒雷をものともせざる出臍かな

臍曲げしかたちに冬を眠るなり

おしくらまんじゅう押されて臍が失くなりぬ

社会鍋臍の高さとおもひけり

着膨れや臍も笑へば茶も沸かす

いふなれば臍の奥より鰤起し

観世音臍丸出しの寒かりき

煤払ひ臍を覗きて終りけり




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「自粛」

一日があつといふ間に十二月

冬至まで据え置かれたる南瓜かな

炬燵寝のわれを踏んづけ猫のゆく

畳替へひと際寒き仏間かな

北陸の雪の甘さよ蕪寿し

山門を出でてほどなく葱畑

自粛して鳰などみてゐたる

容赦なき雪に埋もれし冬菜かな

草を噛む雪の深さとなりにけり

暇さうな男がひとり焚火して

人と会ふ動機もなくてシクラメン

柚子風呂や首まで浸かる年の数



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