露堂々のいのち


IMG_0761.JPG

水仙の捻くれながら真っすぐな 玉宗
  
「露堂々」という禅のことばがあります。

「露」は隠しどころがないということです。裏も表もなく、過去現在未来を通じて変わらない実相世界の様子です。生老病死。すべて堂々たるわがいのちの様子であり、仏道とはそれを自己に引き寄せ学ぶ道程そのものです。

人を変えることはできないが自分ならその可能性があると言います。何故か。

「露堂々」とは誰でもない自己の世界の様子に他ならないからです。借り物では済まされないのです。その目覚めがわれらが仏道の初心であり、一歩です。真実はいつも脚下に明らかなのです。見ていて見ない。真相から目をそらしてはいませんか。聞いていて聞かない。耳を塞いでいませんか。

仏法に隠しどころなく、自分持ちのものなどありません。もの足りても、もの足りなくても、実になんともない「露堂々」なるいのちを生きています。

生きていれば様々なことが次から次と起こります。失敗もします。然し人生は、躓いたところからしか起き上がれません。失敗の中にこそ多くの学びがあります。「脚下照顧」とは「露堂々」なるものへ眼を開き、耳を澄ます機縁そのものなのです。

露堂々なる実相に目を塞がず、あきらめず、貪らず、頭を上げて前を見て、堂々と無駄骨を折り、一歩を踏み出すに恐れず、次なるステップへ飛躍し生きて行きたいものです。〈 法話集『両箇の月』より 〉





IMG_8558.JPG

「うつすら」
うつすらと明けゆく雪の旦かな
初詣さ中の雪となりにけり
三日はや銭がものいふ世なりけり
歳神や強く優しき父の拍手
国生みの牛の愚直さ初田打
炬燵出てそのまま冬の海を見に
うつすらと霜降る朝の寒椿
ふるさとを出でて久しき雑煮かな
独楽になり雪野を走るつむじ風
山門をしづり落ちたる雪の山
踏み進む音にも雪の深さあり
外の出ればすでに夕べの雪あかり
濡れてゐる夜のしづけさ松の内


IMG_0364 (1).JPG


「四日」
裏白の反りもめでたき四日かな
懐かしき四日の雨に打たれけり
餅を切ることより包丁始めかな
歳神の子を遣はする札配り
御降りが天井伝ひ漏れきたる
うれしくてならぬ春着の子でありぬ
ちやんちやんこ年は三つと答へけり
お年玉もらひてすぐに覗きをり
買初めの妻が生き生きして帰る
真夜中に目覚め不安雪止まず


この記事へのコメント