出会いという宝 

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春風やまだ調はぬ空ながら 玉宗


人を変え、人を育てるもの。それは出会いではないでしょうか。
出会いは人ばかりではありません。生老病死、天災人災、吉凶禍福、毀誉褒貶等々、様々な出会いがあり、そのいずれもが選ぶことができないものばかりです。

然し、本来、選ぶ必要もなく、全てがわたしの学びの糧、全てが私の鏡であることを知れば、儚い一期一会の人生に生まれ落ちた意義といったようなことも、自ずから得心できるのではないでしょうか。なにがあってもなんともない。すべてが私の命の花を咲かせる縁であり、慈悲の潤いです。そうであれば、追うことも求めることも逃げることもいりません。

畢竟、わたしは私に出会うために生まれて来たとも言えましょう。問題はその私とは何だということなのですが、それは果たして問題なのでしょうか。私は答えとして答えの真っただ中に生まれてきたのであって、本来、問題を抱えて生まれて来たということはない筈です。

人生の悩みとは答えそのものの自問自答とでもいうべきものです。ほとけのいのちを生かされているからこその自問自答。いのちにはそのような矛盾があります。これから成仏するのではなく、既に成仏の命を生きていることに目覚めなければならない所以です。

諸行無常の人生の出会いとはわが計らいを超えた因縁です。私が私になるだけのことのために天地の計り知れない采配があります。 

〈 法話集『両箇の月』より 〉




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「妻」
甘いものに目がない妻の朝寝かな
春立つと柱時計の螺子を巻く
野の果てに待てる大海涅槃西風
鼻唄の妻の機嫌や木瓜の花
団子食ふマスクを外し手を洗ひ
うかれ猫ふぐり垂らしてうろつきぬ
田遊びに妻を貸してはくれぬかと
節分の豆が足りないまあいいか
如月や心もとなき首回り
二月早や雛を飾れる能登の妻



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「波の音」
風の声波の音にも寒の明け
ざうざうと砂の風紋浦の春
春北風や砂に埋もれし韓の文字
霾るや風の僕の町に住み
大陸を遥かに鳥は雲に入り
波音を楽譜とおもふ浜千鳥
松ぼっくり転がり転がり春が来る
千里来し春白波のうち寄する
また一人春の浜辺にさぶらへる
波が消す砂文字雁の供養なる

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