コロナ後の社会?!


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春立つやふらりと風の吹く方へ 玉宗 

コロナ発生直後からコロナ禍での社会の変化、価値観の変質が指摘されている。命あっての物種を実感せざるを得ない状況に遭遇して、人はだれでも最低限必要なものを選択し、生きるのに無駄なものを省こうと本能的に身構える。それは一見至極当然な振る舞いに思えるが、生きるのに最低限必要なもの或いは無駄なものとは何だろうかとふと気になった。

 窮すれば通じると言われるが、通じることよりも窮しないことを願ったりする人間心理。そもそもが窮する以前の身と心の処し方があるのではないかとも思ったりする。「通じる通じない」というわが思い、もくろみ、欲望がある。通じても通じなくてもなんともなく生きていけますようにと願う虫のよさがある。多少通じなくてもコロナで窮しないで済ますことができるのならばそれに越したことがない。

 つまり、無駄な事とは、わが思いの尺度に掛けての話しであるということだろう。必要なものもまた同前であるかもしれない。当たり前のことだが、そうなると一人一人の価値観が試されているというこになる。様々な価値観がある。仏道も又そんな人の世で買い被られたり、値踏みされたり、無視されたり、不当な扱いをされたりする価値観の一つである。

 仏さまだなんだと飯の種にもならないにものに時間や人生やお金を掛けることに無意味さを感じる者もいよう。ところで、「飯の種にもならないもの」とは如何なるものか。というか、人は飯のタネになるものばかりで生きているのだろうか。生きていけるものなのだろうか。飯を食うことと同じように「生きることの意味」「こころざし」を食べて生きている動物ではないのか。又は、飯を食うこと以上に「遊びたがる」動物であるかもしれない。平たく言えば獣に襲われないで怖れることなき安穏な暮らしをしたがるホモサピエンスの血を引いているということだ。

 「宗教」は飯の種にも毒にも薬にも遊びにもならないとされるような社会の眼差し空気がコロナ禍と共に醸成されているような気がしないでもない。その一方で、宗教を飯の種としか扱ってこなかったお坊さんの界隈では法要の意義の再検討を余儀なくされ、檀信徒にしてみれば法事も葬儀も失くせよとは言わないが簡単質素にしてほしいという傾向に拍車が掛かろう。要するに金が掛からないようにしてほしいということだ。宗教への出費が無駄なものの一つに挙げられる世の中になるだろう。或いは「宗教」に文化的価値を見出せない社会が到来しているのかもしれない。平たく言えばこれも「遊ぶ余裕」がないという世相の反映だろう。それはもう宗教崩壊というより、社会の崩壊、文化の崩壊、人間性の崩壊ではなかろうかと思わないではない。長い歳月を掛けて創られて来たそれらの「かたち」が変容していくのかもしれない。

 然し、「かたち」もまた盛るべき「内実」を待ち望んでいるが如くに自由自在であるのが実際のところではないか。諸行無常、色即是空空即是色である。「かたち」ばかりに拘る、と批判的になることがあるが、それは「かたち」の盛るべき「内実」を持っていない人間の失言であることが多い。「かたち」を「真似すること」の難しさ、「かたちばかり」であることの奥の深さを未だ知らないことが多い。「かたち」に賭けるべき「内実」が希薄であることが多い。形骸化しているとは恐らく「かたち」が本来の「かたち」をなしていないということではないのか。「かたち」と「内実」とは一体のものではないか。「かたち」ばかりに拘る云々とは、未だ、「奉行」も「莫作」も知らざるものの言である。

「かたち」とは竟に「かたちそのもの」を超越・超克することを望んでいる。少なくとも、そのような内実を待ち望んでいるかの如くである。「仏道」も又、そのような「内実」を「創造」する働きのあるものでなければならないだろう。「かたち」は古くて常に新しい。日々更新し、日々新たな地平へ自己を誘う。なればこそ生きる力となり、救いとなるのである。躓いたり、行き詰ったりしているということは、未だ「かたち」をわが物としておらず、自由自在ならざるものの脚下にほかならない。

松のことは松に、竹のことは竹に、生老病死は生老病死に、諸行無常は諸行無常に習うしかない。人は現実という情け容赦のないところからしか立ち上がることはできないのである。そういう意味では、コロナ前も今も後も本質的には何にも変ってはいないし、行き詰ってもいない。諸行無常という大きな流れの中の一コマに過ぎない。ジタバタせず、世の価値観の変化に対応できる柔軟な平常心、正念相続を忘れないようにしたいものだ。
 


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「探す」
如月の閼伽に仕へし目覚めかな
黒々と春あけぼのへ漕ぎ出しぬ
笹鳴やへそくり探すやうにして
奥能登の田の神送りはだれ雪
ふるさと行きの駅にさ迷ふ春の夢
迂闊なる男が一人梅探す
虫出しの雷鳴を聞く肘枕
田遊びの早乙女に妻借り出され
踏絵より戻りし姉の湯浴みかな
探しもの思ひ出せずに魚は氷に


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「沖」
鳥雲に入りたる海のあるばかり
灯台の沖は霾る風の国
外浦は海鳴り已まぬ木の芽かな
霞たつ沖より船の戻り来る
東風吹くや方角石の頂上に
紺碧の浦に水脈曳く鱵舟
春遅き能登の沖明け鳶の笛
磯波のうねりにまかせ若布刈舟
うち寄する波にも春の来にけらし
雁風呂やみな海を向く十村墓地



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