末世の比丘

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堅香子の花に木漏れ日五合庵 玉宗
   
      
宗教の本質が改めて問われている時代になっていると指摘されて久しい。お坊さんが無自覚に流されてきたことが現代人に疑問視され始めているという文脈の中の話しなのだろう。お葬式や法事だけがお坊さんの役目であった時代が終わろうとしている。葬儀を取り上げてみても、それは宗教行事であり社会儀礼でもあるという側面が忘れ去られようとしている。そのようなことも資本主義の洗礼を受けた宗教界がいづれは向き合わなければならない現実なのだろう。今更の如く慌てふためくのもなんだか本末転倒感が半端ない。

現実とは何か?
殊更に世を拗ねている訳ではないし、現実社会を尊重するに吝かではなにのだが、正直なところ、それらは何か物足りなかったり、胡乱臭かったり、或いは何か余分だったりする。そんな私の日常の在りようと言えば、頗る個人的、ひとり遊び的な代物である。俳句という謂わば、ものを見て感じ、考え、感動や言葉を思い出したり忘れたり、同じく、捻くり出したり削ったり、時間を置いて見直し、捨てたり拾ったりしている日常。要するに、何かが形に心地よく収まるのを待つ。狙う。或いはその反対に空っぽになるような功夫。そのような生活の作業を厭かずに繰り返している。それは俳句に限っての話しではなく、私の生き方そのものの様子ということである。

私とは何か?
無心になろうとしているいのちがそこにあると敢えて言わせてもらう。ほかに適当な言葉が見当たらないのだが、敢えて言えばそれは私が私自身に折り合いを着けようとしているようにも見えなくもない。そのような方法で世界と交感できる人間でありたいと願っており、そのような類の自然人、仏弟子でありたいとやはり密かに願っていることを告白しておこう。生きている私とはそのような類の寂しがり屋で、有態にいえば人間ではなく、人間を越えたものが遊び相手であることが多いということでもあろうか。
私がいてもいなくても、なんともない、自在な、あるがままの、肩書に偏らない、選り好みのない世界がそこにあって、そのような世界で生きている私、そのような私の眼差し、そのように生かされている私一人の世界を大事にしたい。 

宗教の本質とは何であるか?
私にはそれを声高に唱えることはできないし、するつもりもない。螢が自分を照らして生きるように、世の一隅に生きて呟き、ときに嘯いているばかり。こんな人間がお寺の住職であるというのもおこがましいことなのかもしれん。やがて社会がもっとお坊さんに対して社会的な責任を追及し糾弾し、或いは抹殺するようなことになれば、私などは間違いなく消えてなくなる存在だろう。
良寛は出家されたあと玉島円通寺で十数年修行した。修行時代の良寛さまの光りと影は殆ど知られていないが、その月日とは仏弟子として法の羊水に揺られていた月日でもあっただろう。その後、大愚良寛は送行し韜晦した。一人での修行が始まっていた。郷里の出雲崎に戻ったことも漂泊韜晦という自己表現の本質に変わりはなかった。それはひとり遊びにいのちを任せた人間が山里に現れたり、隠れたりしたということではなかったか。

こだわりのない、あるがままの世界に身を任せた良寛。宗門とか教条とか、なんだかんだと人に披歴するような肩書もセクトも抜け落ち、立身出世も追い求めず、世の中を変えようともせず、恨もうともせず、寺も持たず、食べる分だけのお米があれば満足し、人を羨むことなく、墨がなくなれば空に向かって筆を走らせ、腹が空き、もの憂ければ炉辺にうまく寝ころび、子供らと時を忘れて遊び、民の飢饉災難には涙し、来るものは拒まず、去るものは追わず、自在な偽りのない生き様。その歌、その句、その書、その姿は、名もなく貧しい人々をして心癒し、寛がせ、愛されました。ほとけ任せの世界。良寛はそのような世界にひとり遊びをされていたのだと思う。私などには、それがそのまま「宗教の姿」に見える。末法の比丘が慕い、憧れる所以である。合掌。 〈 エッセイ集『拝啓、良寛さま』より 〉



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「さへ」
夢にさへ泪す花に冷ゆる頃
桜蘂降る外より寒き家の中
解りても困る田螺の鳴くにさへ
競ふ世をどうしたものか茎立ちぬ
土竜さへ鶉となりぬ剰へ
パンジーの裏が表とくたびれて
光りつつ竹の秋風さはさはと
母は子と寄り添ふにさへ草となり
早蕨や握りしめたる赤子の手
春愁や月もおぼろにまろきさへ


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「油断」
囀りや少し油断をしてをれば
中空に暫し止まる燕かな
康成忌春のしぐれに祟られて
交番を出入りしては巣を作り
降り立てば桜蘂ふる能登鹿島
触頭能登は阿岸の菊桜
白象も古りたる村の花まつり
頑として独活の在り処を教へざる
次から次へ蕨の腰をへし折りぬ
雉子鳴く天狗の森の暗さあり

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