こころのアルバム

嘆くかに藤垂れ空の只青し 玉宗 先日来から夫人がアルバムを整理していることもあって、夫である私の出家前の数少ない写真が出て来た。数にして二十枚に満たない。残っていること自体が不思議である。家を出て放浪していた間も持ち合歩いていたものか。後から親戚に譲ってもらったものか。よくわからない。 中学一年生の集合写真。兄の結婚…
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義母の回峰行

夏花摘むだけの母とはなりにけり 玉宗 コロナウイルス終息を願って始めた「千日回峰行」に倣っての「千日祈祷」も今日で十日目。先は長い。 さて、回峰行と言えば、一緒に暮らしている義母の生きざまを書かねばなるまい。今月99歳になる義母は、能登半島地震被災二年前に夫である先代住職を亡くした。長年住職と共に檀家のないお寺を苦労して…
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何気なさの奇跡

少し遅いがまだ喰へさうな蕗摘みに 玉宗 先日、夫人と蕗摘みに出掛けた。 私達二人はどちらかと言えば出不精である。夫人は煎茶礼や御詠歌などを習っているので月に何度かでかけることがあるが、私は基本的にお寺に居ることが仕事みたいなところがある。住職とは言ったものだ。まあ、それはいいのだが、それにしても夫人は学生時代はテニスなど…
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ここに目覚める

満を持しひらき初めたる牡丹かな 玉宗 人生、泰然自若として苦難に向かってゆくことは容易ではない。 朝起きてから夜眠るまで気にくわぬことが山ほどある。洗面の水が冷た過ぎたり、風呂の湯が熱すぎたり、食卓に向かえばご飯が柔らか過ぎたり、強すぎたり。些細なことほど気になるもの。注文通りになることの方が珍しいのかもしれない。家…
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千日祈祷?!

麦を吹く風の青さよどこまでも 玉宗 コロナウイルス終息には未だ予断が許さない状況が続いているようだ。 お坊さんとしてできることはないものかと思案した挙句に三密を守り、ホームステイに専念することくらいしかできそうもない。どちらかと言えば社交的な人間でもないから家に籠ることにさほど窮屈感はない。庭に出て草むしりもできるし…
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雲の心、水の心、風の心

夏籠りの始まつてゐる空の色 玉宗 所謂「安居」は俳句の季語では夏に入っているが、總持寺祖院僧堂では四月半ばより「夏安居」が始まっている。僧堂によって安居入制が多少ずれているのが実際のところだ。期間が三か月であるのは同じ。お釈迦様のころは「雨季」の間の「安居」だったのだろう。一年に一回。日本ではいつのころからか雨安居(夏…
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今こそ平常心で

總持寺へ八十八夜の手を合はす 玉宗 コロナウイルス終息にはまだ先の見えない状況のまま今日で四月も終り。 境内の藤棚に白藤が咲き始めた。いつも五月の連休には花盛りとなっている。五月号の寺報を配りに行った先の家の庭にも牡丹が咲いていた。いつもより咲くのが早いと家人が言っていた。木々には若葉が目に付くようになって目にやさし…
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本気で生きる?!

北前の沖も明けたり鳥風に 玉宗 以前、ツイッター上でのやりとりで、俳句甲子園に関わっている若い人にデイベートについて「ムキなっているのが解らない」みたいなことを口走ったら、「本気でやっているんだ。じじいは引っ込んでいろ!」と窘められたことがある。本気か・・・・。本気で生きていない人がいるんだろうかと、暫し訝しんだのだが…
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徒然なるままに

ふるさとは春の木漏れ日惜しみなく 玉宗 能登にもひたひたと押し寄せるコロナウイルスの影。目に見えるのもなんだが、目に見えないことへのじわじわした不安感がある。昨日は一カ月ぶりに孫たちが訪ねて来たのだが、家に上がることもなく庭で一時間ばかり荷物のやりとりをして帰っていった。輪島の朝市も人影がほとんどない。県外からの観光客…
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諸行無常の宗旨・再考

虎杖を噛めばすつぱい故郷よ 玉宗 コロナウイルスという災難にあたっての心構え、身構えといったことに思いがいたる。 容赦のない諸行無常の人生に対処するにはそれなりの姿勢といったものがあろう。われらが宗旨は「諸行無常」を根本としている。それはどういうことか。 光陰矢の如しとはよく言ったもので、それは実感として申し分…
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「理想と現実」再考

白蓮の光り吐き出すやうにして 玉宗 コロナショックで例年とは様子が異なるかもしれないが、四月と言えば、一般社会では今頃新入社員や新入生が新天地の空気を腹いっぱい吸って夢もうつつな日常を過ごしたりする。教える者と教わる者。新参と古参。先輩と後輩。上司と部下、そして同僚。なかなかに賑やかな人の世ではある。それは修行道場の現…
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本来の面目に生きる

あきらめないで花をつけたる苺かな 玉宗 「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷しかりけり」   これは道元禅師の傘松道詠歌の一つで、「本来面目」と題されたものである。故・川端康成がノーベル賞授賞式での講演で紹介したそうだ。川端にはこの歌に込められた魂こそが日本文化・文学の面目だという矜持があったのだろうか。…
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さくら雑感

生き死にの声ある花に疲れけり 玉宗 コロナショックの影響もあってか、例年になく妖しい花万朶の装いであった今年の桜だったが、二三日前からそろそろと散り始めている。 永福寺の裏山は鳳来山とも観音山とも呼ばれて、以前は桜の名所で知られていたが、最近では地元の人も花見に登ってくることも少ないようだ。輪島は花どきと言っても風が…
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一隅を照らす

人里へ罷り出でたり目を借りに 玉宗 今回のコロナショックを「戦争」「戦時体制」に準える声が聞こえてくる。 私は戦後十年昭和三十年という所謂「戦争を知らない世代」である。敗戦後の復興を揺り籠として育ち、ものの豊かさを求めることが不自然でも何でもない社会の潮流に乗って生きてきた人間とも言えようか。戦後昭和平成と日本は…
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地方の時代?!

山辛夷見たこともなき空晴れて 玉宗 石川県が緊急事態宣言を発出した。 以前、県外の観光客を誘い、感染リスクの認識不足を露呈して顰蹙を買った県知事であったが、事ここに至って県外へ出ることも県外から来ることも自粛してほしいと反転。東京、大阪などの大都市を始め日本各地で右へ倣えの状況になりつつある。輪島はまだ感染者が出てい…
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曖昧文化の行く末

じやらじやらと木五倍子は花の飾りかな 玉宗 先日来から新聞の死亡欄を見ていると「終了」として載せている事例が圧倒的に多くなっている。 コロナ感染拡大防止からの対応なのだろう。所謂「家族葬」が主流とならざるを得ない状況になっているということだ。海外の「葬儀禁止」までは未だ至ってはいないが、今後その可能性がない訳ではあるまい…
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義母の髪

垂乳根のふところ深し朧にも 玉宗 お寺に一緒に住んでいる義母はもうすぐ九十九歳になる。大正生まれ。 足が大分弱くなって杖や手押し車のような補助用具を使っている。それでも朝晩本堂へのお参りを欠かさない。新聞も読むし、読書もする。縫物もする。お天気で体調がいい日は裏庭に出て掃き掃除をしてくれる。お風呂は今のところ一人で入…
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花のこえ

震災を共に生きたる桜かな 玉宗 興禅寺の裏庭に樹齢三十年ほどになる一本の染井吉野がある。 震災前からのもので、被災後の境内整備でも元のままに残しておくことにした。整備にあたって周りの雑木を伐ったこともあり、日当たりがよくなったせいか、土がよかったのか、その後年々大きくなって庫裏の窓や屋根に枝が届くほどになった。毎年花…
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平常心是道・作為を越えた領域

咲き満ちて花の翳りといふものを 玉宗 毎日のように今回のコロナショックにあたっての現状報告や分析、そしてその対処が政治、経済、医療の分野から発信されている。 然し、仏教界からの提言を寡聞にして私は知らない。どうしてこのようなことになったのだろうと問う暇も今はないようにさえ見える。今、そしてこれからどう生きていくべきなのか…
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外出が憚れる今日この頃

必死さの聊か足りずあたたかし 玉宗 外出が憚れる今日この頃。 例年、涅槃会が過ぎたころ少しばかり行楽に足を延ばすのだが、今年は越前市のご誕生寺拝登も自粛。本堂前に建立された「猫大仏」を見ることが叶わない。毎日自坊の庭を行ったり来たりして春の息吹を戴いている。ご誕生寺から株分けして戴いた花菖蒲の芽も出揃った。桜は勿論のこと…
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危機を乗り越える鍵?!

生き死にの声ある花に疲れけり 玉宗 予断を許さないコロナウイルス状況が続いている。ある識者は、パンデミックの後、世界はその生活様式や社会構造の変容を余儀なくされるだろうと語っていた。劇的変化という言葉も使っていたようだ。文明というダイナモの再点検、再構成があるのだろうか。 宗教の世界はどうだろう。昨日は家族葬と思われ…
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俳誌「栴檀」主宰・辻恵美子

鳥雲に入るやなんとかなるだらう 玉宗 先日、久しぶりに「栴檀」主宰辻恵美子氏から電話があって、五月の大会が十一月まで延期となったと知らせを受けた。俳人協会の方からも自粛要請があったらしい。いずれにしても私は今回も欠席のつもりだった。来年は創刊二十周年ということで記念事業も大会も控えている。今年はその助走。結社の俳句手帳…
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及ばないのは過ぎているから?!

躓きしものに影あり鳥雲に 玉宗 「木を見て森を見ず」という諺がある。 「細かい部分にこだわりすぎて、大きく全体や本質をつかまないこと」と言うのが一般的な解釈であろう。「こだわり」と言えば如何にも道を誤る要素の筆頭だと思いがちである。「執着」と共に仏道的にも褒められた心術ではないとされている。私も何度も自戒として戒めて来た…
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陸の孤島からの眺め?!

天照す母の国なり桃の花 玉宗 コロナウイルス蔓延防止のために東京など都会は不要不急の外出自粛を要請しはじめた。東京などはオリンピック延期が決まった途端に感染者数が増えたことに違和感がないことはない。それまで発表を控えていたのかいなかったのか。或いは、増加することが避けられないと判断してのオリンピック延期の申し出でもあったの…
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ゼロを生きる

寄り添へば遠き海鳴洲浜草 玉宗 今日は平成十九年能登半島地震が起きた日である。十二年の歳月が過ぎた。 今年も夫人と二人だけで興禅寺の本堂でお経を挙げ、被災者や再建支援者への回向をする。先日も震度五強の大きな地震が夜中にあって飛び起きたことである。地震の揺れに敏感になって久しい。地震だけではないが天災のスケールが大きくなっ…
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菩提の種

海原は淋しきところ彼岸西風 玉宗 お彼岸も今日で終わり。 彼岸と言えばいつも「今日彼岸菩提の種を蒔く日かな」という一句が思いこされる。「菩提の種」と何か?教義的には「六波羅蜜」つまり彼岸へ行くために行う、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六つの修行徳目と言う。それらが「菩提の種」であると。農耕でも種を蒔いたり、田畑を耕…
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小さな葬儀雑感

菜の花を喰うて腸明るくす 玉宗 「小さなお葬式」という言葉を最近よく耳にする。耳障りのよいコピーで家族葬の代名詞でもある。不透明な葬儀料金を明瞭化し、手間暇を省き、低価格に設定する。格安な料金設定を勧める世の風潮。お坊さんもそのような料金設定の中で一項目として明瞭化される。この流れはこの先も続いていくことだろう。家計にあっ…
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やっちまったよ・法話集『両箇の月』正誤表顛末記

正解は鵜呑みにできぬ蛙かな 玉宗 言い訳めいて余り気が進まないのだが、一寸の虫にも五分の魂捨てがたく、今回ある著名な宗門の宗師家に指摘された法話集『両箇の月』正誤表の解説、そしてことの顛末を書いてみようか。 その殆どは誤植であるのだが、いづれにしても著者の責任であることは間違いない。実は予算的なこともあり出版社の…
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彼岸入り雑感

春遅き風に破れし間垣村 玉宗 今日は春の彼岸入りである。 自坊では昔より特に彼岸の法要はしないのだが、本寺である總持寺祖院は二十日から二十二日までの三日間法要をする。コロナ対応ということで、お斎なし。法要のみとなった。末寺として法要随喜する予定である。このところ教区は勿論、金沢などのお寺さんも法要を中止するという話を耳に…
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実相に目覚める

被災せり雪割草の咲く頃を 玉宗 三月十三日未明、輪島市内を震源地とする震度5強の地震に見舞われた。   十三年前の能登半島地震は三月二十五日の九時三十一分。震度6強だった。今回は震度もその長さも以前よりはインパクトの低いものではあったが、夜中の二時過ぎ、就寝中を飛び起きることになったほどの強い揺れではあった。能登半島地震…
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退歩の学び?!

これ以上背伸びはできぬ梅の花 玉宗 今日は興禅寺の涅槃会である。 コロナウイルスの影響でお寺の行事も中止する中で、いつにもましてささやかに行う予定である。 昨日は檀家十数人が合いよって例年より手間を省いた涅槃団子作りに奉仕して戴いた。マスクをしながらいつもより少ない人数で、作業も午前中で済まし、お昼ご飯もなし。それでも…
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面壁九年という生き方

巡り来る春潮巡り来る忌日 玉宗 東日本大震災から九年が経とうとしている。 九年の歳月と言えば私達禅僧には達磨大師の面壁九年が想起される。見て来たような話でなんだが、菩提達磨は歴史上確かに存在したというのがわれらの常識であり、お釈迦様から続く仏法を今に相続するに欠かせない祖師に挙げられている。その達磨様がインドから…
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じっと我慢のお坊さん

腸の一句もならずあたたかし 玉宗 コロナウイルスが終息する気配がない。 人混みを避けるようにすることが感染抑止対策の大勢になりつつある。 十二、十三日と興禅寺の涅槃会を控えている。總持寺祖院が十日の法要中止を決めたこともあり、末寺三か寺も本寺に倣って中止という選択もあったのだが、本山ほど参拝者も多くないことも考慮し…
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説教坊主?!って、どうよ

空にまだ雪の気配や春焚火 玉宗 平成三年に興禅寺の住職となって三十年となる。 三十五歳だった。思えば、右も左も分からぬままに住職としての船出であった。見よう見まねで葬儀もこなし、なんどか失敗や間違いをしたこともある。不思議に力不足を感じることはなかったのだから、どこまでも自惚れ屋さんだったことが判明する。門前町は私が住職…
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法話集『両箇の月』正誤表

明日が見えぬと土手に上れば春の雲 玉宗 先般上梓した法話集『両箇の月』に少なからずの勘違い、誤植を指摘されましたで、ここに正誤表を添えて訂正します。すでにご購入の関係者にはお詫びし、追って正誤表を遅らせて頂くなどの対処を致します。合掌。 正誤表 帆山(はんざん)町→帆山(ほやま)町 義伊禅…
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墓を探す

春潮や海の子われに貝の耳 玉宗 「知人の墓を探しているんですが、分かりませんでしょうか?」 マスクをした見も知らぬ五十代の男性が突然永福寺を訪ねて来た。開口一番に言った言葉がこれである。永福寺には檀家もないので墓地はない。雲を掴むような話なのだが、よく聞けば、茨城から来たというその男性の親の知人が輪島出身であり、…
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実相を生きる

人はみな春をしづかに傷ついて 玉宗 今日から三月である。 三月は能登半島地震に被災した月でもあり、東日本大震災が起きた月でもある。否が応でも思い出される。恐らく生きている限りこの思いは湧いてくるのだろう。 あの時も、北国の長い冬を過ぎて雪割草も咲き春祭りも催され、畑打ちや田起しなどの農事が始まり、早春の喜びの中で人…
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メメント・モリ

空にまだ雪の気配や春焚火 玉宗 「メメント・モリ」という言葉がある。 ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句だそうである。諸行無常は古今東西を貫通する真理であろうから改めて驚くに当たらないのであるが、「忘れる」癖も又、同様に古今東西の人間に備わる才能なのだと思い当たる。考えてみれば、生きてい…
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仏事を尽くして仏命を待つ

本命はあなただつたの福寿草 玉宗 石川県でも新型コロナウイルス感染者がでた。すでに感染者が日本各地に往来しているのだろう。金沢での宗門関係の研修会もいくつか中止になった。近いところでは總持寺祖院は拝観観光者が全国から参拝に上ってくる。この先どのように対処されるのか。三月は門前町教区寺院の月遅れの涅槃が目白押しでもあり、町と…
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流れを全うする

白鳥の超えゆく遠き山河あり 玉宗 いのちの話し。 「ある」ことは「ない」ことを前提として成り立つ。諸行無常という「生老病死なるいのち」が、今にあることの真相は「死」を以てその前提条件としているから。いのちという「流れ」の循環。先祖や亡くなった親兄弟がどうして尊いのか。それはそのような次第の循環を「全うした」からだ。供養し…
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涅槃団子作り秘伝?!

卵かけご飯で済ます涅槃かな 玉宗 今日は永福寺の涅槃団子作りである。 恒期法要を地蔵さんの縁日に合わせて執り行うことから二十四日が法要。団子作りは昔から輪島崎地区の漁師さんの手を借りて行われている。檀家がない永福寺は、例年輪島崎地区教区寺院の檀家さんばかり十人ほどの手助けを戴いて涅槃団子を作る。何故か昔から漁師さんの男手…
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「作品」とは?!

風の渚を歩くばかりぞ雁供養 玉宗 覚醒剤や違法薬物を使用して逮捕された歌手や不倫騒動で世間を騒がせた俳優らがマスコミに取りざたされて賑わしい昨今。新型コロナウイルスの大変さも影を潜めてしまいそうな世間の風潮。そのような話題の中で件の歌手や俳優らが関わった「作品」に対して社会はどのような付き合い方をするべきかみたいなプチ論争…
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精進のこころ

もの思ふまなざし遠き椿かな 玉宗 なんだか、最近、頓に、加齢を実感し、時の流れを痛感している自分がいる。 諸行の無常なることを悟って迷うことなし、といきたいところだが、人様には偉そうなことばかり言っているが、今を蔑ろにとまではいかないまでも、無精な時間の過ごし方をしてるのではないかと忸怩たるものが正直つき纏っている。無為…
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雛を飾るという迷信?!

雛飾る妻を一人にしてをきぬ 玉宗 二月も早々、夫人は床の間にお雛様を飾り出す。 ひと月早いのではないかと思うのだが、夫人の言うのには早めに飾って、三月三日の雛祭りが終ったら早々にしまうのだという。そうしないと娘の婚期が遅れるか、婚期を逃すのだと。長女はとっくに結婚しているのだからそんな気遣いも必要ない筈だが、孫娘二人への…
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南無病気大菩薩

生きものの脛に傷ある涅槃かな 玉宗 先日、拙書法話集『両箇の月』を贈呈させて頂いた愛知専門尼僧堂堂長・青山俊董老師より、丁重なるお礼の手紙と老師最新著作本『十牛図・ほんとうの幸せの旅』春秋社刊行を送って頂いた。 青山老師は天下に知れた宗師家であることは今さら言うまでもなく、私のような田舎坊主が話題にするのも正…
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寺報・二月号

うつらうつらと雪解しづくの音の中 玉宗   能登の二月は釈尊涅槃の日でもあります。お釈迦様の祥月命日です。 一般のお寺では涅槃会法要を催し、涅槃団子を撒いたりして、お釈迦様の遺徳に思いを馳せ、お粗末な自己の生き方を新たにする機縁ともなります。 仏教徒とはお釈迦様に生き方を習う人のことでもあります。手本とすべき人生の先達が…
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俳句に埋もれる?!

これ以上背伸びはできぬ梅の花 玉宗 さて、俳句を更新し続けている訳だが、先日第三句集以後の作句数を数えてみたら、21900句を越えていた。 第四句集『安居抄二万句』を出したいなどと嘯いたりしているんだが、数的には十分となっている。この類句類想の山の中から二千句近くを削る作業が残っているのだが、さすがに数が多すぎて聊か腰が…
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仏道の伴侶

總持寺へこれより雪の太鼓橋 玉宗 コロナウイルスの終息の気配が未だ感じられない様子。輪島でもマスクや手洗い用の消毒液が品切れで手に入りにくくなっていると夫人が嘆いていた。とんでもない高値でマスクなどが取引されているらしい。買占め防止という一面もあるのだろうけど、このような事態になっても利益を追求したがる人間もいるのだね。国…
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志しに生きる

魚は氷に仏弟子山に上りけり 玉宗 今日は總持寺祖院僧堂で冬安居を締めくくる行持の一つである「法戦式」が執り行われる。 僧堂では冬安居に入るに際して行われるところもあるが、祖院は例年二月上旬であり、終って間もなく安居解制となり、春の新到雲水さんが上がってくるようになる。 わが倅もこの春には九年目の安居となる。師匠もで…
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末期の目

雪のせて芽吹き初めたる蕗の薹 玉宗 今日は立春。 昨日の節分で寒行托鉢も無事円成。お志を戴いた方々に改めて感謝と共に敬意を表したい。今年は例年になく雪が少なく、荒れた日も多くはなかった。四十年近くの行事になるが、寒行托鉢の醍醐味というか、コツと言ったものをそれなりに学んで来ていたことに今更ながら気づくのである。 毎…
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