テーマ:俳句鑑賞

『俳句大学・今日の一日一句鑑賞・最終回』

「腸の一句もならず着膨れて 玉宗」 一句鑑賞を引き受けて約束の一カ月となった。我儘な鑑賞にお付き合いいただいて恐縮でした。 さて、私事ではあるが、能登半島地震に被災してその復興途上で手を染めたSNS上での俳句更新。毎日十句を自らに課して十年以上が過ぎた。 五年前に『安居抄六千句』なる破天荒な句集を出して、一応の…
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俳句大学一日一句鑑賞

『11月25日の一句』 「木星に住ふ算段懐手 直美」 作者はたしか洋裁に通じている筈だが、「懐手」は本来「和服」を着ている折の仕草であることは承知であろう。洋服の場合はさしずめズボンのポケットに両手をつっこむ「ポケット手」ということになろうが、生憎これは季語として認められていない。「懐手」も着物を着る機会が少なくなっ…
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俳句大学一日一句鑑賞

「11月23日の一句」   「寒鴉熟女ふたりに及ばざる 夢彩」  俳句を評価することばに「面白い」というのがある。「俳句的おもしろさ」と「川柳的おもしろさ」と分けてみたいところだが、要するに最短定型詩の「面白さ」に帰着するんだろうとは察しが付く。いずれにしても「俳句は感性による認識」であるという写生俳句を唱導した…
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俳句大学一日一句鑑賞

「11月22日の一句」 「マシュマロの淡き食感雪催  泰與」 取り合わせの句である。 つかず離れずが理想とは分かっていても中々その離れ具合、つき具合の加減が難しい。 イメージがどのくらい広がるかがポイントなんだろうけど、取り合わせの句は作者より鑑賞する方の詩的世界の広さと共に距離間が試されているのかもしれない。離…
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「俳句大学・一日一句鑑賞余談」

 毎月私の妖しい俳句教室に通っている七十代の御仁が居られる。某結社の同人ではあるが、同人であることに自信がないらしく、頻りに添削を所望する。「俳句添削」を明示してあるだけに、それはそれでいいのだが、はっきり申し上げて、添削というより換骨奪胎した改作と言っていいようなことになってしまうことが多い。それには理由があって、箸にも棒…
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俳句大学一日一句鑑賞

『11月17日の一句』 「富士見ゆる軒に柿干す甲斐の国 正則」 「縄跳びに冬の落暉を入れて跳ぶ 昼顔」 「赤城より凩来たる厩橋  泰與」 写生句の醍醐味は作者の独自なる視線に出会う事であろうかと。それはそのまま作者の感性との出会いでもあろう。全面的に共感できればそれに越したことはないが、全面的とは言えなくても、あ…
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俳句大学「一日一句鑑賞」

『11月10日の一句』 「木枯らしに攫われていく薬指  素子」 「大蒜を叩きつぶして虎落笛   草民」  「句意明解」をよろしいとするのが大勢である。とくに写生俳句を唱導するにあたってよく目に耳にする。然し、どうだろう。「句意」が「明解」であるということはどういうことか考えてみたことがあるかな。俳句が定型詩…
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俳句大学「一日一句鑑賞」

『11月8日の一句』 「大鷲の風を呼び込み飛びたてり 満徳」  つらつらと何の脈絡もなく俳句の正体や可能性について思いを巡らしてみた。今更ではあるが「俳句とは何だろうか」とときどき我に返ったかのように自問自答したくなる。最短定型詩という定義に異議を唱えるものはいないであろう。「詩」「韻文」なのである。「叙述」「散文」…
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俳句大学「一日一句鑑賞」

· 『11月4日の一句』 「星飛んで漬物石の丸きかな 正則」  とぼけた感じがいい感じ。とぼけてはいるが小さな発見は小さいながらに確かにある。一直線な流れ星に対応する漬物石の丸さ加減。それは暗い夜空の底なしの丸さ加減、宇宙空間の手応えのなさに比べれば、手にもとれるほどの確かさであり、その不思議さ加減に作者は目を見張る…
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俳句大学「一日一句鑑賞」

『11月2日の一句』   「放棄田の畦の数珠玉実りたり 貞子」  私は高卒で大学というものに興味もなかったし、家が貧しかったので進学という選択肢を端から持ち合わせて居なかった。だから「大学」という世界を傍から見て想像するしかないのだが、「学ぶことが好き」という人間が通うところなのだろうとは思っている。  「大学」に…
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俳句という出会い

野に下る都忘れの心あり 玉宗 秋口の原稿〆切で結社誌から「現代俳句鑑賞」なるものを依頼されていることもあって、余り気が進まないのだが、それでもこの際にわが俳句鑑賞の心持ちを確認しておくのも無駄ではないようにも思える。 以前にも書いたことだが、「鑑賞」とはつまり私の感性に響く作品を紐解き、謎解き、感応する作業なのである…
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涅槃団子作り秘伝?!

卵かけご飯で済ます涅槃かな 玉宗 今日は永福寺の涅槃団子作りである。 恒期法要を地蔵さんの縁日に合わせて執り行うことから二十四日が法要。団子作りは昔から輪島崎地区の漁師さんの手を借りて行われている。檀家がない永福寺は、例年輪島崎地区教区寺院の檀家さんばかり十人ほどの手助けを戴いて涅槃団子を作る。何故か昔から漁師さんの男手…
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俳句鑑賞・その12(最終回)

托鉢の銭も手足も冷えにけり 玉宗 〇12月17日の投句より (承前)偶像を排除した、ありのままの世界。そのあっけらかんとしたあかるさ、ひろやかさ、こだわりのなさ、のびやかさ、厳しさ、というようなものがある。そのようなものから、表現と云う一定の距離を保つこと。なぜかそれがこころを癒し、生きる姿勢を正す。それが詩…
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俳句鑑賞・その11

埋火やいつかは忘れらるゝ身の 玉宗 〇12月13日の投句より 「往きて還る俳諧の心」  生きていることのどうしようもなさ、不思議さ、あやうさ、こだわりのなさ、有難さというようなものがある。生かされて生きているわたしのいのち。それは覆すことのできないほどに目の当りしている事実である。そのような私の地平から望む…
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俳句鑑賞・その10

煤竹をくべて焚火を太らする 玉宗 〇12月9日の投句より (承前) 林間を人ごうごうと過ぎゆけり 谷に鯉もみ合う夜の歓喜かな 海とどまりわれら流れてゆきしかな 暗黒や関東平野に火事一つ 私が初めて金子先生にお会いした昭和50年初頭は、熊谷に棲むようになって年月もそう経っていないころだった…
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俳句鑑賞・その9

煤払ふさ中の雪となりにけり 玉宗 〇12月5日の投句より (承前)五七五、短詩形故に似たり寄ったりの味わいではあるが、似て非なるものであることも確かである。「言葉ひとつ」「助詞ひとつ」も疎かにならない所以でもある。俳句に於ける「切れ」の問題も「間・余情・余白」といった「言葉の掛け橋」へのセンス・感性が試されている…
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俳句鑑賞・その8

近道はなんだか怖ひ雪婆 玉宗 〇一句鑑賞・12月1日の投句より (承前)感性による認識、つまり、言葉という感性がいのちのという感性に影なし、光りなす表現の楽屋裏。そのような離れ業は「無心」でなければできるものではなかろうと思う。「無心になること」私にとってそこが唯一、仏弟子にして俳人であることの証明ともいえるのか…
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俳句鑑賞・その7

暮れてゆく跫ばかり十二月  玉宗 〇一句鑑賞・11月26日の投句より (承前)私にとって俳句を作り続けることは、確かに日常を生きている私の縦軸と横軸の交差の軌跡である。そしてそのような「表現するという作業」が生きる愉しみになっていることを否定することはできない。金にはならないが、欲を越えたところで私を支えている事…
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俳句鑑賞・その6

冬籠り雲の腸見て暮らす 玉宗  〇11月23日の投句より ところで「不易流行」という言葉がある。 「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず・去来抄」「蕉門に、千歳不易(せんざいふえき)の句、一時流行の句といふあり。是を二つに分けて教え給へる、其の元は一つなり。・去来抄」「師の風雅に万代不易あり。…
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俳句鑑賞・その5

山眠るやうに死にたいだけのこと 玉宗 〇11月19日の投句より 子規の跡を継いだとされる虚子は「客観写生・花鳥諷詠」というお題目を掲げて時代の俳句界を牽引していったが、私には子規の「写生」と虚子の「写生」が似て非なるものに思えて久しい。写生と雖も表現であるから当然作者の主観の色合いが出る。人柄というか、匂いという…
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俳句鑑賞・その4

もの言はぬ一日石蕗の花に暮れ 玉宗 〇11月15日の投句より あたゝかな雨がふるなり枯むぐら  子規 名月やすたすたありく芋畑 一籠の蜆にまじる根芹哉 みちのくへ涼みに行くや下駄はいて 「子規の句を見ると、初めのうちはそんなに器用な、上手な作家とはとても思えない。才能のひらめきは見ることができる…
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俳句鑑賞その3

夕星にひとり消えゆく焚火かな 玉宗 〇11月14日の投句より 一日一句鑑賞の趣旨から逸脱感が半端ないのだが、今日は恥を忍んで、鑑賞というより市堀式添削を披露して、私の「写生俳句」の手法を具体的に語ってみたい。ご不満もおありでしょうが、そこは大目にね。反面教師ってこともありますから。参考までに、何かを気づいてくれたらう…
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俳句鑑賞、その2

冬に入る五七五の駆け足で 玉宗 〇11月7日の投句より 俳句の真骨頂とはなんだろうかとよく思う。何が面白くて毎日似たような定型詩を垂れ流しているんじゃろうかとわれながらよく分からぬままに生きている。 そいうことをつらつらおもうに、なんだかんだいっても俳句の俳句たるは「あたらしみ」にあるんじゃなかろうかと。日…
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俳句鑑賞

言霊の石や碑となる秋の風 玉宗 FB上でのお付き合いで、「俳句大学」なるものに毎日鑑賞文を載せることになったので、折々にUPしていこうかな。今回は纏めて四日分。 〇11月2日の投句より 「湯冷めして影の勝手に歩き出す 静代」 「熱を持つ息ひしめきて石榴の実 静代」 その俳句的感性に注目するのだが…
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